【書評】『心はこうして創られる 「即興する脳」の心理学』/ニック・チェイター・著 高橋達二、長谷川珈・訳/講談社選書メチエ/2145円
【評者】香山リカ(精神科医)
ここ10年で読んだ本の中でもっとも衝撃的な一冊だった。なんせ精神科医の私に認知科学者である著者は、「心などという確固なものは存在しない」と言うのだから。「いや、ちょっと待ってよ」と反論するより先に、それを実証する心理学的な実験結果やエピソードが次から次と繰り出され、読んでいるうちに次第に著者の言い分が正しく見えてくるから不思議だ。
たとえば、スウェーデンで有権者たちに自分の支持する政党の主張を一部、すり替えた紙がわたされる実験が行われる話が出てくる。有権者はすり替えに気づかないので、紙を見ながら日ごろの意見と正反対の主張を正当化する物語を“ねつ造”して語り出したという。それに対する著者の解説を抜粋して紹介しよう。
「私たちは自分の思考や行動を正当化するとき、心のアーカイブを閲覧してなどおらず、創作を行っているのだ。その過程があまりに素早く流暢なせいで、内なる心の深みからの報告であると思い込んでいるのだ。」
つまり、「私は深い内面を持っている」というのは私たちの希望的な錯覚にすぎない、ということだ。
すべてはその場の脳の「創作行為」だと言うのだ。では、それを行っている脳とは何か? 著者は「脳は協働式の計算を行う機械」と断言する。そして、巨大な神経ネットワークである脳が一度にできる作業、思い出せること、意識できるものはひとつずつなので、私たちはそれが自分の心というものだと錯覚してしまう、というわけだ。
「自己を意識するなどという話は支離滅裂なナンセンス」という著者の言葉は痛快そのものだが、精神科医として無意識や深層心理の探求をしてきた私にとっては、これまでの人生の意味を失うほどの破壊力だ。しかし、「完全なる意味なんてない、それは一歩一歩創られる」と言われると、やけに心が軽くなるのも事実だ。
心とは、脳がもつ途方もない即興能力によって創り出されるフィクション。この大胆すぎる仮説をあなたはどう読むか。ぜひいろいろな立場の人の感想を聴きたい。
※週刊ポスト2022年10月28日号