安倍晋三・元首相が亡くなってから3か月あまり、派閥会長を務めていた安倍派(清和会)の後継会長は依然、決まる気配がない。10月13日の派閥総会では、塩谷立・会長代理からこんな一言が飛び出した。
「安倍さんに代わる新しいリーダーというのが一つの大きな課題だが、現時点でなかなかそういう方がいない」
塩谷氏にとって苦渋の発言だったはずだと、ベテラン政治ジャーナリストは言う。
「塩谷氏はその前週、10月6日に開かれた同派総会で、『会長人事を含む新体制を来週にも決定する意向を示した』と報じられました。同派重鎮の衛藤征士郎氏らが『塩谷派』への衣替えを提案していたことを受けたもので、塩谷氏が会長に就くつもりだったのでしょう。
ところが、派内から『知名度が低く総理総裁候補になり得ない』『塩谷派では茂木派や麻生派に名前負けする』などと異論が相次ぎ、最終的には派閥オーナー的存在の森喜朗・元首相が『領袖が務まる器ではない』とストップをかけたと言われています。森氏は当面、会長を置かず、松野博一・官房長官、西村康稔・経産相、萩生田光一・政調会長らによる合議制で進めていくべきだという考えのようで、塩谷氏としても会長就任を断念せざるを得なかったようです」
衆参合わせて97人もの国会議員を抱える自民党最大派閥の行方は、永田町内でNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』になぞらえられた。源頼朝亡き後の御家人13人による合議制の状況が安倍派と似ており、「派内の権力闘争で勝ち残った者が北条義時のような強力なリーダーになる」との予測もあったが、実態はほど遠い。
「権力闘争が好きな永田町では『鎌倉殿』が大人気ですが、それを安倍派になぞらえる向きはなくなりました。というのも、頼朝という絶対権力者亡きあと、北条時政、比企能員、梶原景時といった有力御家人たちが激しく争った『鎌倉殿』と違い、安倍派にはそもそも権力闘争を繰り広げるほど力のある人材がいなかったことが明らかになったからです。
森氏は当初、萩生田氏を後継候補に考えていましたが、旧統一教会との接点が取り沙汰されて対応に四苦八苦し、あっさり自滅してしまった。ほかの面々も、森氏の顔色を窺うばかりで『我こそが次のリーダー』と周りを斥ける力を示そうとする人はいません。北条義時のような新リーダーが不在のまま、ゆるやかな合議制が続いていく。これでは『ダメ鎌倉殿』と揶揄されても仕方ないでしょう」(同前)