球界を代表する投打のスターがぶつかり合うのが日本シリーズの醍醐味だ。やっぱり日本シリーズは面白い──そう思わせてくれた1971年の巨人対阪急、1994年の巨人対西武の名勝負を振り返る。(文中敬称略)【全3回の第3回。第1回から読む】
オリックス・山本由伸(24)に稲尾和久の姿を重ねるように、背番号「55」を背負うヤクルト・村上宗隆(22)の活躍は、“世界の王”こと王貞治と比較されることが多い。
数々の金字塔を打ち立ててきた王だが、日本シリーズの名勝負といえば、巨人黄金期で「V7」を狙った1971年だろう。
対戦相手の阪急には22勝をマークした「史上最高のサブマリン」こと山田久志がいた。入団から3年目と脂の乗った山田は、国民的な大スターである「ON」との対戦にギラついていた。
ペナント後半、王は深刻な打撃不振に陥っていたが、1勝1敗で迎えた3戦目にドラマが待っていた。先発の山田が好投し、1対0のまま9回裏へ。2死一・三塁、「あと1人」という場面で打順が4番の王に回る。
後にわかることだが、この時、阪急ベンチは「王を歩かせて、次の末次利光で勝負」という考えもあった。しかし、山田の考えは違った。西本幸雄監督がマウンドに確認にいくと、山田は「王さんと勝負させてください」と直訴。勝負を選んだ。
しかし、カウント1-1からの3球目、内角ストレートを打ち返した打球は無情にも美しい放物線を描いてライトスタンドに突き刺さった。「逆転サヨナラ3ラン」という結末に山田はマウンド上で膝をついた──。
あの時の舞台裏を山田本人が回想する。
「もちろん、今でもあのシーンは鮮明に覚えていますよ。忘れられるわけがない。秋田から母親や一族をみんな球場に呼んでいましたからね。あの試合以降、母親は何度チケットを贈っても球場に来てくれなくなった。とんでもなく親不孝な1球でした。ただ、あの場面で王さんを敬遠という選択肢は頭になかったです。
自信はありましたね。その自信が過剰になってあの結果でした。王さんに天狗になっていた鼻をへし折られた。あのホームランがあったからその後の自分があると思うようにしましたが、やはり悔しかった。日本シリーズという特別な場面では1球で戦況が変わってしまう。その怖さを思い知りました」
今年、村上は両リーグ断トツの25個の敬遠を記録している。オリックスの投手たちは、1球が勝負を分けるなか、真っ向勝負を選ぶだろうか。