子供にとって何よりも大きな存在なのが「家族」だ。家族の関係性が、学校での行動に影響することも少なくない。体験取材などでおなじみの、女性セブンの名物ライター「オバ記者」こと野原広子さんは、義父との関係性に悩んでいたという。オバ記者が、自身の経験を振り返る。
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「オバはいじめっ子だったでしょ?」と訊かれることはあるけれど、「いじめられなかった?」と心配されたことはほとんどない。まぁ、この風体を見れば、いじめを黙って受けていたようには見えないんだろうね。
で、答えは「どっちも」で、小学3年生までは男の子にこづかれ、悪口を言われて泣いていたけど、4年生から反撃に出たんだよね。5、6年生になるとただの反撃では済まなくなって、クラスの女子相手にけんかを仕掛けたり威嚇したりしてた。
なぜこんなことになったのか。私なりにハッキリした原因があるんだよね。それは私が自我に目覚めた10才頃から始まった“義父との不和”。
実父は私が3才になる前に急死して、母親に残されたのは私と年子の弟と、目の不自由な姑と実父の残した借金。そこに転がり込んできたのが、母親より6才年下の義父だ。
「おじちゃん」──最初はそう呼んでいた私が「とうちゃん」と呼ぶまでにはそれなりの葛藤があったのだけど、それでも私がいじめられっ子の泣き虫だったときは、けっこうかわいがられたんだよね。
ところが、ある時期から私も自己主張をするようになる。食事中、私がご飯粒を畳に落とした。それを義父が踏んだ途端、「テメェ〜っ! どんだけ気持ぢ悪いが何回言ったらわがんのがぁ〜ッ」と怒鳴りだすの。私が何か言い返すと、「親に口ごたえすんのが!? 誰に飯食わしてもらってんだッ」。
「てめえら、オヤジのごどバカにしやがって」って、これも口癖だったね。「てめえら」とは6才年上の母親と私のことで、時には祖母も加わった。争いごとがいつ起きるかは義父の機嫌しだい。
義父はどんなに怒っても手をあげることはない。ただ怒鳴るだけだ。それでも子供の私が義父を「恐ろしい」と感じたのは、理屈の通らなさゆえ。
あるとき、母親と祖母と義父が口論になった。原因は「十二支の動物は何種類いるか」。母親と祖母が「子、丑、寅……12に決まってっぺ」と言うと、「そんなハンパな数、聞いたごとね! 10だ」と義父も頑張る。どんどん声が大きくなって、最後は「てめえら、そうやってオヤジのごど潰すのが? オヤジを立てられねぇのが!」と、これまた口癖だったね。
「バカをどう立てるんだよ」──さすがに口に出しては言わないけれど、きっと私の顔に書いてあったんだね。義父が私に向ける目に、日に日に憎しみが増していった小5の秋に弟が生まれたの。
それでしばらくは家の雰囲気が丸くなったのはよかったけれど、その弟がまた騒動の種となった。小さな家の中、弟が眠れないからと夕飯後のテレビの音量は最小に絞られた。弟がヨチヨチ歩きを始めたら、「絶対に転ばせるな!」と子守役の私に朝に晩に言うんだわ。弟がバランスを崩して地面に両手をついたところを見たりすると、飛んできて「テメエ、何のために横にいんだ。転ぶ前に手を出して止めるのが子守の役目だろ」と。