【書評】『ジャーナリスト与謝野晶子』/松村由利子・著/短歌研究社/2750円
【評者】平山周吉(雑文家)
「私は新聞と新聞記者の聖職を讃美し、事情が許すなら私自身も新聞記者の職業を兼ねたく思う者である」
恋愛讃美の歌集『みだれ髪』、日露戦争下の常識に挑戦した長詩「君死にたまふことなかれ」、『源氏物語』の現代語訳など、超人的な仕事を残した与謝野晶子が「ジャーナリスト」志願だったとは。
いまや新聞記者は先行き不透明な職種の代表選手だ。歌人として盛名を得た晶子にとっては、大正デモクラシー期を旺盛に生きるとしたら、女にとっても、ふさわしい職業がその新聞記者だった。
晶子は十人以上の子供を産み、育てながら、生活のためにもどんどん短歌や評論を書きまくった。肝っ玉母さんと社会評論家を両立させた。その足跡に焦点を合わせたのが本書である。
明治四十四年(一九一一)に「東京日日新聞」(現、毎日新聞)の一面に連載された晶子の短歌はまず出産を詠んだ。
「あはれなる半死の母と息せざる児と血に染みて薄暗き床」
「産のあと頭つめたく血の失せて氷の中の魚となりゆく」
晶子は死産の直後に人事不省に陥り、連載開始時にはまだ入院中だった。出産という大仕事を社会的なテーマとして新聞の第一面で詠むことは、著者の松村由利子によれば、「男女が支え合う社会」への提言であった。病癒えた晶子が次に詠んだのは、一ヶ月前に処刑された幸徳秋水たちの姿だった。
「産屋なるわが枕辺に白く立つ大逆囚の十二の柩」
ストレートに書くことを憚られる大事件であっても、臆することなく「不穏な世相への異議申し立て」を公開した。晶子のジャーナリズムでの評論活動は、いま見ても圧倒される。
「私の注意と興味とは芸術の方面よりも実際生活に繋がった思想問題と具体的問題とに向かうことが多くなった」
この「実際生活に繋がった」というフレーズに、生活者与謝野晶子の面目がある。
※週刊ポスト2022年11月11日号