「コロナ禍でさまざまなコンサートや公演が中止されたり延期されたりしましたが、11年間も延期されたコンサートというのは、そうそうあるものではないですよね。
東日本大震災で延期になったコンサートを、嬉しいことにこのたび開催し、唄わせていただくことになりました。悲しみの中で生きてこられた皆さまとお会いできることは、待ち望んでいたプレゼントをいただいたような気持ちがしています」
こう語るのは、今年デビュー40周年を迎えた歌手のクミコ(67)。1982年にシャンソン喫茶『銀巴里』でデビューして以来、『愛の讃歌』や『わが麗しき恋物語』など数々の名曲を歌い継ぎ、2010年にはNHK紅白歌合戦に出場した円熟の歌姫である。
宮城県石巻市でクミコが被災したのは、紅白に出場した翌年のことだった。
「2011年3月11日、私は宮城にいました。石巻市民会館でコンサートを行うために楽屋にいたところ、突然大きな揺れに襲われ、慌てて駐車場に避難したんです。
破壊的な揺れが収まると津波警報が出て、裏山の道なき道を必死で登りました」
採石場でひと晩を過ごし、ラジオから聞こえてくる被害状況に絶句。山を降りて様子を見にいった人が暗い表情で帰ってくるのを見て、暗澹(あんたん)たる思いに駆られた。
東京に戻ってからも被災地を思って涙し、うつ状態に陥ったという。
「手を取り合って、コンサートを行うはずの方々も何人かが帰らぬ人となりました。
うつ状態だった私を救ってくれたのは、他ならぬ石巻の方々です。再び現地を訪れて、避難所や、店舗の一角、仮設住宅の集会所など、あらゆる場所で唄わせていただき、皆さんから優しい言葉をかけていただいたことは忘れられません」
予定されていたコンサートは、地元の人々の協力のもとで2年近く準備してきたもの。熱い思いが込められた催し物だ。震災から11年。現地の復興が進み、解体された市民会館に新たにホールが設立され、地元の人々から開催を熱望する声があがった。
「また機会をいただけるとは思ってもいなかったので、こんなに嬉しいことはありません。11年の歳月は長いようで、あっという間だったようにも感じます」
今年4月、石巻市はサンドウィッチマンや林家たい平(57)らと共に、クミコを観光大使に任命した。11月8日、石巻マルホンまきあーとテラスで行われるコンサートには、市長が任命状を渡しに訪れる予定という。
『銀巴里』で唄い始めてから今年で40年。クミコは、これまでの足跡、そして、これからのことを確認する思いを込めた新録『愛しかない時』をリリースする。
原曲は、世界中で反戦歌として親しまれるシャンソンの名曲。クミコが27歳のときに日本語詞をつけて以来、歌い続けてきた作品だ。
「私は過去に、ウクライナに二度行っています。原爆をテーマにした『INORI〜祈り〜』を唄ったご縁で、テレビ番組のロケで事故後30年経ったチェルノブイリにも訪れました。私が出会った方々が戦争のまっただ中にいることに絶望感を覚えつつも、SNSを通じて歌を届け合ってきました。レコーディングに臨んだときは、当時お世話になった通訳の方や、ご家族、現地の方々の無事を祈りました。
石巻市がウクライナから避難した人を受け入れていることにもご縁を感じずにはいられません。災害であっても戦争であっても、どんな無力感の中でも人は支え合うことができる。暗闇の先には必ず光があるはずです。
昨日が今日になり、いつものように明日が来る。そのことが奇跡のように尊いことだとわかった今だからこそ、唄える歌たちがあります。どの会場でも『どっこい生きてやる』、『したたかに生きていこう』と思ってもらえるライブにしたいと思っています」
【プロフィール】
クミコ/1982年、シャンソニエの老舗『銀巴里』でプロとして歌手活動スタート。2002年『わが麗しき恋物語』のヒットで脚光を浴び、2010年『INORI〜祈り〜』で第61回 NHK『紅白歌合戦』初出場。2017年のアルバム『デラシネ』は日本レコード大賞優秀アルバム賞を授賞した。2021年8月、中島みゆき書下ろし曲『十年』をリアレンジとして話題に。今年、デビュー40周年。今年8月からはじまったツアー『わが麗しき歌物語Vol.5~愛しかない時~』では、石巻と同じく被災地の福島・南相馬市民文化会館でも歌声を届けた。石巻公演は11月8日、12月4日の東京・EXシアター六本木がファイナルとなる。