ロシアによるウクライナ侵攻は、日露関係にも多大な影響を引き起こしている。西側諸国と連携した対露経済制裁への“報復”として、プーチン政権は北方領土を含む極東地域で軍事演習を活発化させ、さらには1992年に始まった「ビザなし交流(北方四島交流事業)」の一方的な破棄を通告した。その「ビザなし交流」の象徴が、国後島に建てられた“ムネオハウス”である。日露が“断絶状態”を迎え、施設はどうなっているのだろうか。ビザなし交流に同行取材したことのある報道写真家・山本皓一氏の写真とともにレポートする。
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北方領土はロシアではクリル諸島(千島列島)の一部とされ、行政区分としてはサハリン州に属する。ウクライナ戦争勃発後、同州の州都ユジノサハリンスクに渡航した日本人ビジネスマンが語る。
「もう2年半もムネオハウスに日本人は誰も来ていない。そのため、今はもっぱらモスクワなどから訪れるロシア人旅行者向けの宿泊や、地元住民のイベント会場に使われていると聞きました」
国後島の主要都市である古釜布に1999年、75人を収容できる2階建ての宿泊施設が完成した。正式名称は「日本人とロシア人の友好の家」だが、日本では“ムネオハウス”の通称で知られている。
総工費4億円超の施設の発注元は外務省だが、当時自民党の衆議院議員だった鈴木宗男氏(現在は日本維新の会所属の参議院議員)が外務省に大きな影響力を持っていたことや、同氏の地元・根室の建設業者が工事を受注していたことなどから、現地では「ムネオ先生が建ててくれた家」と認識されていた。それが“ムネオハウス”と呼ばれる所以だ。
施設は「ビザなし交流」における訪問者の宿泊や、日本の政治家による現地視察など、日本人関係の行事で多用され、ある時期まで施設の入り口には日本語で「鈴木さん、あなたは私たちの友達です」と書かれたボードが掲げられていた。
だが、2002年に鈴木氏に関する様々な政治疑惑が火を噴き、鈴木氏は有罪判決を受ける。それによって“ムネオハウス”も利権の象徴として槍玉にあげられた。だが、施設が取り壊されることはなく、“ムネオ色”を薄めながら使われ続けてきた。
「竣工から20年以上になりますが、近年まで頻繁に利用されていました」
そう語るのは国後島への渡航取材経験がある全国紙記者だ。
「2006年にカニかご漁船『第31吉進丸』がロシア国境警備隊に銃撃されて甲板員1人が死亡した際、連行された船長ら3名はムネオハウスに拘束されました。もちろん『ビザなし交流』の宿泊場所としてもずっと使われていて、2019年に交流事業に同行していた丸山穂高・衆議院議員(当時)が、『戦争しないと領土は戻らない』『女性のいる店で飲ませろ』などと発言して大問題となったのも、ムネオハウスでの出来事でした」
2019年10月には、日本とロシアのパイロット事業として位置づけられた、初の「北方領土観光ツアー」が実施され、日本から観光客や政府関係者ら44名が国後島に渡航。そこでも“ムネオハウス”が宿泊先に指定された。