放送作家、タレント、演芸評論家、そして立川流の「立川藤志楼」として高座にもあがる高田文夫氏が『週刊ポスト』で連載するエッセイ「笑刊ポスト」。今回は、八波むと志と荒木一郎についてつづる。
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このところ次々と初恋の人に(初恋が次々ではおかしいか)サプライズで会っているようだ。60年前、50年前のときめきの人が本となって私の前に現われてくる。
こんなにズーッと「笑い」に携わってきて、一番最初に私をときめかせてくれた喜劇人。小学生だった私のハートをキャッチしたのは、コメディアンとも思えぬ強面の八波むと志だ。本当に大ー好きだった。NHKの健全な『お笑い三人組』に対抗して出てきたどうみても怪しい3人組「脱線トリオ」(由利徹、南利明、八波むと志)。ムーランルージュを経由してテレビに出てきた由利はわい雑、下品、達者だった。柔な二枚目南利明。それを的確につっこんで行く八波が壮快で痛快。小気味よすぎる。後に私は萩本欽一、ビートたけしという最強の東京つっこみに出会うことになるのだが、瞬間最大風速から言って八波が勝つのではないか。
その後、三木のり平に認められ「雲の上団五郎一座」で伝説の『玄冶店』をふたりで演じることとなる。まさに東京喜劇の金字塔。中学生の私にとってスーパーヒーローは石原裕次郎でも力道山でもなく8×8の八波むと志だった。ミュージカル『マイ・フェア・レディ』に大抜てき。さあいよいよ八波の時代と誰しもがそう思っていた。
8×8の64年。1964年(昭和39年)37歳。交通事故死。私はただの15歳。ただただ泣くだけだった。おふくろは「学校休んでいいよ」と言ってくれた。私は学校に理由も告げず3日休んだ。
「ミュージカルとかやるから勉強もできなきゃ」と、30歳を過ぎて日大芸術学部に編入した。後年、私は未亡人と対談する機会を得た。「事故って日大病院に運び込まれたでしょ。あの時の入院費って学割だったの。粋なもんでしょ。高田さんに会って欲しかったわ」と言った。今でも八波むと志を思うと胸がツーンとする。本は『八波むと志と東京喜劇』(森田嘉彦・朝日新聞出版)。
我々団塊世代にとっては一寸不良な兄貴分。酒、女に酔い、ハイミナールでラリッてドラマの現場へ。あぶなっかしくてシャイでいいところの子。俳優であり歌手。あの時代のにおいがまた戻ってきた。荒木一郎。『今夜は踊ろう』『いとしのマックス』。シンガーソングライターの嚆矢となると書いてある。「嚆矢」とははじまり。起こり。映画『893愚連隊』『日本春歌考』。この度出た本は『空に星があるように 小説荒木一郎』(小学館)。ノーコンプライアンス荒木。
※週刊ポスト2022年11月18・25日号