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【逆説の日本史】西園寺公望が9年あまりも続けたパリ留学から突然帰朝した理由

作家の井沢元彦氏による『逆説の日本史』(イメージ)

作家の井沢元彦氏による『逆説の日本史』(イメージ)

 ウソと誤解に満ちた「通説」を正す、作家の井沢元彦氏による週刊ポスト連載『逆説の日本史』。近現代編第九話「大日本帝国の確立V」、「国際連盟への道3 その5」をお届けする(第1360回)。

 * * *
 パリ-コミューンつまり世界最初の社会主義政権が成立していたのは、前回述べたように一八七一年三月十八日から五月二十八日までの七十二日間である。横浜からアメリカ経由でフランスに向かった西園寺公望がパリに到着したのは明治四年二月七日で、これを太陽暦に換算すると一八七一年三月二十七日だった。まさにパリ―コミューンの真っただ中に、彼はフランス入りしたのである。

 ここで思い出していただきたい。西園寺はなぜフランス留学を希望したのか? それは彼にとって、いや幕末の多くの若者にとってフランスは憧れの国だったからである。英雄ナポレオン1世がいた。そしてナポレオンが敗れた後も、フランスは強大な軍事国家であると同時に文化の中心地でもあった。西園寺は若いころからフランス語を学んでいた。どちらかと言えば公家には珍しい軍人志向の彼にとっては、フランスの軍隊からも学ぶことが多くあると考えていたのではないか。

 ところが、横浜を出発して以来そのフランスはプロイセンというおそらく西園寺があまり聞いたことも無い国家に大敗北を喫し、勢いに乗ったプロイセンはなんとパリのベルサイユ宮殿でドイツ帝国の建国を宣言した。それに対してフランス敗北の責任者でもあるナポレオン3世の第二帝政は崩壊し、第三共和政となった。もちろん、それまでの情勢変化については新聞等を読むことで把握はしていただろうが(船の上でも日付の遅れた新聞は読むことができる)、到着してみたら共和政どころかコミューンというこれもおそらく西園寺にとっては「わけのわからない」政権が誕生していたのだ。彼の頭は混乱し、将来に大きな不安を抱いただろう。

 実際、これ以後日本陸軍はフランス留学を中止しドイツに優秀な軍人を留学させるようになる。そして、新たに誕生したドイツ帝国の参謀本部システムを学ぶようになる。ドイツ近代陸軍の父とも言われるヘルムート・カール・ベルンハルト・フォン・モルトケがその考案者で、日本陸軍はこのモルトケの愛弟子クレメンス・ヴィルヘルム・ヤーコプ・メッケル少佐を日本に招いてドイツ近代陸軍のシステムを導入した。日露戦争で活躍した児玉源太郎は、メッケルにもっとも嘱望された日本軍人である。

 また、海軍では世界最強のイギリス海軍が日本軍人の留学先となっていった。つまり「フランス留学組」が日本の軍隊で優遇される可能性は、この時点でほぼ無くなったと見ていい。そしてそれは二十二歳(満年齢)の西園寺公望にも容易に予測がつくことであった。「負けた国から軍事を学ぶ者はいない」からである。

 西園寺は、こうしたときは誰でもそうするだろうが、留学生の先輩たちを頼りフランス語を磨くことに専念した。西園寺はかなり深くフランス語を学んでいたのだが、それでも現地の大学教育を受けるには力量が足りなかった。だから、とりあえずそうしたのである。そのうちにコミューンは崩壊して第三共和政が復活し、世の中は落ち着いてきた。こうしたなかで西園寺は法律に関心を持った。

 ナポレオン法典以来、とくにフランス民法は後に日本でも模範とされるほど完成度の高いものであり、フランス留学の目的とするには悪くないものであった。結局、西園寺は約四年半かけて大学入学に必要なフランス語の能力と一般教養を身に付け、パリ大学法学部に進学した。この四年半という時間、この後大学教育をさらに四年受けなければならないことを考え合わせると、その準備段階にしては時間がかかり過ぎだと考えられないこともない。

 これは想像だが、やはり西園寺は自分が進むべき道について迷いがあったのではないか。そこで、準備にじっくり時間をかけた。じつは、西園寺は留学二年目で公費留学生の立場を辞退している。その後は自費留学で、その決断も日本に早く戻ってこいと急かされるのを恐れてのことではなかったか。

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