タッキーの愛称で親しまれた滝沢秀明氏が芸能活動を引退してから約4年。ジャニー喜多川氏の後継者としてジャニーズJr.の育成とプロデュースに専念してきた「ジャニーズの申し子」が、道半ばにして事務所を去った──。
《この度、2019年よりジャニーズアイランド代表取締役を務めてまいりました滝沢秀明が退任し、新たに井ノ原快彦がジャニーズアイランドの代表取締役となりましたことをご報告させて頂きます》
ジャニーズ事務所の発表によれば滝沢氏は「ジャニーズアイランド」の社長のほか「ジャニーズ事務所」の副社長など関連会社の役員を退任。9月中旬に弁護士を通じて申し出て、同月下旬の取締役会で承認されたという急転直下の辞任劇だった。
実は、滝沢氏が退社を考えたのは今回が初めてではないという。
「芸能活動を引退する前も、周囲にたびたび独立願望を打ち明けていました。実際、数年前に実業家と共に家族名義でアパレル関係の会社を立ち上げ、滝沢さんも熱心に営業をかけていたのです。独自の人脈を駆使してJr.とタイアップしてくれる企業を探し、その事業が軌道に乗ったところで、事務所を離れる考えもあったようです」(芸能関係者)
本気で退社を考えた滝沢氏を踏みとどまらせたのは、ほかならぬジャニー氏だった。2018年9月、ジャニー氏はほかのタレントを差し置いて、滝沢氏を自身の“後継者”に指名。感激した滝沢氏はすべてをなげうって、ジャニー氏に恩返しすることを誓った。当時、ジャニー氏は異例ともいえる声明を発表している。
《滝沢秀明がタレントとしての経験と知識を生かし、「ジャニーズJr.たちの育成で、ジャニーさんを手伝いたい。」と言ってくれた時、私は驚きと共に嬉しくて涙がこぼれそうでした。このような決断をしてくれた滝沢には心より感謝しています》
タレントの育成とプロデュースに生涯を捧げたジャニー氏には、集大成ともいえる大きな夢が2つあった。ひとつは芸能活動に必要な素養を基礎から学ぶための養成所を作ること。そしてもうひとつが“アイドル年金制度”の創設だ。ジャニー氏の知人が語る。
「晩年のジャニーさんが、ことあるごとに語っていたのが、芸能人の地位向上です。欧米と比べて日本の芸能人の社会的地位はそれほど高いとはいえず、年齢を重ねるにつれて仕事が減っていく現状に危機感を抱いていました。海外に通用する俳優や歌手の養成機関を作りたいと語り、すべてのタレントが安定した生活を送ることができるような独自の年金制度を作る壮大な計画を思い描いていました。そのために自身の莫大な遺産を使ってほしいとも周囲に語っていたのです」(前出・芸能関係者)
ジャニー氏にとって、一度でもジャニーズに所属したタレントは全員がわが子のような存在だった。その理念と夢を受け継ぐ人物は、滝沢氏をおいてほかになかった。ジャニー氏の死後、滝沢氏の働きぶりは鬼気迫るものがあったという。
「毎朝、自分の運転で現場に入り、演出面の細かいところまで入念に確認していました。スーツ姿がほれぼれするほど似合うため、現場ではタレントより目立ってしまうことも。休日はほとんどなく、睡眠時間も削って働きづめの毎日でした」(舞台関係者)