10月1日に他界した不世出のプロレスラー、アントニオ猪木さん(享年79)。死後、彼の全盛期の思い出を語る関係者は多いが、無名時代を知る人は少ない。その1人が猪木さんの師・力道山の妻で未亡人となった田中敬子さん(81)だ。10月15日、ノンフィクション作家の細田昌志氏が、亡き夫の眠る東京・池上本門寺で墓参りを終えた直後の敬子さんに、猪木さんとの60年に及ぶ交流について聞いた。【全4回の第1回】
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「眠っているようでした」
──力道山の命日は1963年12月15日。月命日となる今日、お墓参りをされたんですね。
「そうです。祥月命日(故人があの世へ旅立ったのと同じ月と日にちのこと)と、お盆とお彼岸は欠かさずやっています。お墓の前でいつも主人に心の中で話しかけるんですよ。“最近こんなことがあった”とか“孫が就職した”とか“近頃、腰が痛い”とか、言うなれば報告会みたいなもんで(笑)」
──猪木さんが他界してすぐの今回は何を語りかけたんでしょう?
「“あなた、猪木さんが来られたと思いますけど、『よく来た』って迎えて下さいよ。『何しに来た!』なんて怒鳴っちゃだめですよ”って」
──猪木さんの訃報はいつ知りましたか?
「10月1日の午前中です。ただ、亡くなる前日に(猪木の実弟の)啓介さんが専務取締役を務める医療機器の製造販売会社の社長さんから『猪木さんの様子がおかしい』って連絡をもらってたんです。そしたら……」
──翌日の午前に訃報が入ったんですね。
「“少し早いかな”って思いました。でも、やり切った人生だったと思います。その日の夜に亡骸と対面して頬をさすったんだけど、何だか眠っているようで」
──最後に猪木さんと会ったのはいつですか?
「3年前くらい。でも、電話では月に一度は話していました。最後に話したのは今年の8月25日に猪木さんが車イスで、『24時間テレビ』(日本テレビ系)に出演した前々日です。『元気?』って訊いたら『元気を売りにしながら、売る元気がなくなって』ってこぼしてましたね」