約2年半の沈黙を経て、中島みゆき(70才)が活動を再開した。精力的に楽曲制作を続ける一方で、かつて憧れたフォークのカリスマには引退の時期が迫っている。「少しでも長く」と彼女が取った行動で奇跡が起きて──。
「みゆき、元気だったか!」。」都内の音楽スタジオの廊下に、吉田拓郎(76才)の声が響いた。満面の笑みで吉田を出迎えたのは、中島みゆきだ。2人は互いに歩み寄り、久しぶりの再会に熱いハグを交わした。
11月11日、吉田は自身のラジオ番組『吉田拓郎のオールナイトニッポンGOLD』(ニッポン放送)で、中島のニューアルバムのレコーディングに参加したことを報告した。吉田は年内での音楽活動からの引退を表明しており、集大成となるラストアルバムを6月に発売。完全に“隠居モード”だった彼が、突然発表したレコーディング参加は、ファンを驚かせた。冒頭はレコーディング直前の様子だが、2人が交わしたハグは奇跡の序章だった──。
2人の出会いは50年前に遡る。吉田は1970年にデビューすると、またたく間に若者のカリスマとして人気を獲得。多くのファンが吉田に熱狂したが、中島もそのひとりだった。
「デビュー前の中島さんは、筋金入りの“拓郎ファン”でした。1972年に中島さんの地元・札幌市で開催された音楽イベントに拓郎さんが出演したのですが、当時大学生だった中島さんは、アルバイトとして参加しています。そのときに2人は楽屋で挨拶を交わしているんです」(音楽関係者)
この頃、アマチュアで音楽活動を始めていた中島は、吉田の曲を熱心にカバーしては、その独特な字余りの節回しを真似ていた。吉田に遅れること5年。中島も1975年にデビュー。同年12月にリリースした2枚目のシングル『時代』が大きな話題を呼び、一躍人気歌手の仲間入りを果たした。その後、中島も音楽シーンを牽引する存在となったが、憧れた吉田と深く交わることはなかった。
2人の関係に変化が訪れたのは、1994年に吉田が中島の『ファイト!』をチャリティーイベントでカバーしたことがきっかけだった。
「拓郎さんは中島さんのデビュー以降、彼女が作る歌詞に注目していました。“中島みゆきの歌詞は、文学のジャンルでも薫り高い作品として評価される”と周囲に話していたほどです。1994年は拓郎さんが引退を考えたほどスランプに陥っていた時期で、メッセージ性の強い歌詞が拓郎さんに響いたといわれています」(前出・音楽関係者)
そして翌年、吉田は驚くべき行動に出る。関係者を交えて都内のレストランで中島と会い、楽曲の制作を依頼したのだ。
「“おれには『ファイト!』のような曲が作れない。遺書のような曲を作ってほしい”と依頼したそうです。その言葉から“引退”を感じ取った中島さんは、自分が作った曲を最後にしないという条件で楽曲の制作を引き受けたそうです。そして完成させたのが、『永遠の嘘をついてくれ』(1995年)なんです。その歌詞は、スランプ状態にあった拓郎さんに向けた言葉だともいわれているんです」(前出・音楽関係者)
吉田は納得いくまでレコーディングを繰り返し、名曲を誕生させた。翌年には、KinKi Kidsとの音楽バラエティー『LOVE LOVE あいしてる』(フジテレビ系)が始まり、新境地を開拓。見事にスランプから脱出し、復活を果たしたのである。つまり、中島は吉田の1度目の引退危機を止めた、恩人と言えるのだ。