サッカーW杯カタール大会グループリーグ初戦で強豪・ドイツを破り、決勝トーナメント進出の期待が膨らんでいるサッカー日本代表。大金星をあげたサムライブルーを率いる森保一監督(54)を巡ってはその指導力に大会開催前は賛否が渦巻いたが、彼の素顔をよく知るプロたちは激動のドイツ戦を迎える前から「森保流サッカー」を高く評価していた。森保氏の原点はどこにあるのか。【前後編の後編。前編から読む】
森保氏は1987年に当時在籍していた長崎日大高校の下田規貴監督と日本サッカーリーグ・マツダSC(現サンフレッチェ広島)の今西和男総監督が知り合いだった縁で、マツダの入団テストを受けた。当初はマツダの子会社での勤務を余儀なくされるなど「底」を経験した森保氏だが、その後1992年に日本代表に選出されるなど、頭角を表していく。
2004年、現役引退した森保氏はサンフレッチェ広島強化部のコーチに就任する。だが、指導者としての道のりも険しいものだった。今西氏が語る。
「当時は高卒で指導者になるケースはほとんどなかった。でも、森保くんはそのハンデを乗り越えようと様々な戦術を学び経験を積んで視野を広げる努力を重ねていました」
そうして培った指導者の目はグラウンド外でも活かされた。元広島県サッカー協会会長で後に日本サッカー協会副会長になった野村尊敬氏が語る。
「広島でのコーチ時代、森保は『自分が選手時代にいた仙台は市内にスタジアムがあり観客が多く収益が出る。広島も街のなかにスタジアムを作ろう』と提唱し、それでホームスタジアムの移転話が動き始めました。彼はピッチ上だけでなく、広い視野でサッカー全体を展望できる指導者だと思います」
コーチとしてのキャリアを積んだ森保氏は2012年にサンフレッチェ広島の監督となり、その年にJ1年間優勝。2013年、2015年も優勝し、監督就任から4年間で3度のリーグ優勝を果たした。
当時、主力選手として監督を支えた森崎和幸氏は、「チームの一体感が強かった」と振り返る。
「森保さんの凄さは一言で言えば、全員に同じ方向を向かせるリーダーシップでしょうか。勝っても負けても一喜一憂せず、“神は細部に宿る”という言葉をよく口にし、『コツコツと目の前の試合に対し、最善の準備を重ねるように』と森保さんが指導していたから、チームがまとまったし結果的に3度の優勝ができました。現日本代表がW杯最終予選で苦戦してもチームがバラバラにならなかったのは、森保さんの手腕によるところが大きいと思います」