神奈川県の横浜・寿町は東京都の山谷地区、大阪の釜ヶ崎と並ぶ日本三大寄せ場のひとつに数えられる。この地に多く建つドヤ(簡易宿所)には日雇い労働者や高齢者が生活し、ボランティアによる炊き出しなどが行なわれている。若者からはやや縁遠い街にも思えるが、この街に22歳の頃から6年以上にわたって通い続けているのが音楽アーティストのxiangyu(シャンユー)だ。
「基本的に大体のことをすぐには信用しない」と語る彼女は、なぜこの街に惹かれたのか。その記録を著した初の著書『ときどき寿』を発表したシャンユーにこれまでの足跡と住民たちとの奇妙な繋がりを聞いた。そもそも、いかにして寿町へ足を運ぶことになったのか。
ボランティアの人たちへの違和感
「もともと路上生活をしている友人がいたこともあって、そういった人たちへの漠然とした興味があったんです。その話をした知り合いの編集者の方から寿町の炊き出しのボランティアに誘われて、軽い気持ちで『じゃあ、行きます』と参加することにしたんです。ただ、その時は寿町という街の成り立ちや住んでいる人たちについてはまったく知らず、横浜に実家があるので里帰りついでに立ち寄ってみるという感覚でした。
ただ、前日に『明日実家に帰る前に寿町っていう所に寄ってから帰るね』と母に言うと『あんた、どんな街か知っているの?』と言われてネットで検索したんです。玉石混淆な情報が溢れていて、そのなかにはちょっと怖いことが書かれているサイトもあったので内心かなりドキドキしながら街に入ることになりました」
いざ踏み込んだ寿町の第一印象は「作業着を着た人が多い」「自分のような若い女性が極端に少ない」場所だった。場違いだったんじゃないのか――そう自問自答しながら公園でボランティアの代表者の話を聞いていると突然ショッキングな出来事に見舞われる。
「いきなり、おじいさんにこづかれて、『おめぇ見ねえ顔だな。どこのどいつだ?』と聞かれたんです。初対面でこんなぶっきらぼうな絡み方してくる人は普段なかなかいないじゃないですか(笑)。それで正直、なんだこの人? と最初は思ったんですが、実はこの人こそ私がその後、寿町に通う理由になる親友のヤマさんだったんです」
鉄工所や造船所など土木や加工の仕事をしてきたというヤマさんは現在76歳。寿町を歩けば誰からも声をかけられる“顔役”のような存在だった。初対面の印象は良くなかったが、寿町に興味を抱いたシャンユーは再び街を訪れ、自らヤマさんに積極的に声をかけてみることにした。
「よく話してみるとヤマさんは“来る者拒まず”の性格で、色々と私に街のことを教えてくれるようになりました。私のほうからガンガン話しかけていくうちにドヤに来る前の生活ぶりや街の人たちの背景など深い話をしてくれるようになりました。ヤマさんとは『●日の●時に駅で待ち合わせしよう』と手紙のやり取りをする仲になり、自然とヤマさんとの交流=寿町に行くことになっていきました。いつもは電話やLINEを使っての連絡手段が主だったので、手紙でのやり取りというのも新鮮でした」
通っていくなかで、街やそこに関わる人に対する自身の感覚も変わっていく。そして段々と、当初案内してくれたボランティアの人たちへ違和感を覚えるようになっていった。