ウソと誤解に満ちた「通説」を正す、作家の井沢元彦氏による週刊ポスト連載『逆説の日本史』。近現代編第九話「大日本帝国の確立V」、「国際連盟への道3 その8」をお届けする(第1363回)。
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西園寺公望が明治天皇をして出さしめようとした「第二教育勅語」とは、いったいどんなものだったのか?
西園寺が創立した京都の立命館大学が編纂し刊行した『西園寺公望伝』(岩波書店刊)には、その草案と思しきものが収録されている。しかし、この史料にはタイトルが無く、あくまで参考資料として扱われている。しかし、内容はこれから紹介するように「朕(つまり明治天皇)」を主語とした臣民に対する勅語(お言葉)そのものであるし、西園寺は晩年になってからの回想で第二の(教育)勅語を下す必要があると考えていたことは広く知られているので、 やはりこの「参考資料」は西園寺の起草した「第二教育勅語案」と考えていいだろう。
それは以下のようなものである。
〈教育ハ盛衰治乱ノ係ル所ニシテ国家百年ノ大猷ト相ヒ伴ハザル可カラズ。先皇国ヲ開キ朕大統ヲ継キ旧来ノ陋習ヲ破リ、知識ヲ世界ニ求メ上下一心孜々トシテ怠ラズ。此ニ於テ乎開国ノ国是確立一定シテ、復タ動ス可カラザルヲ致セリ。朕曩キニハ勅語ヲ降タシテ教育ノ大義ヲ定ト雖モ、民間往々生徒ヲ誘掖シ後進ヲ化導スルノ道ニ於テ其歩趨ヲ誤ルモノナキニアラズ。今ニ於テ之ガ矯正ヲ図ラズンバ他日ノ大悔ヲ来サヾルヲ保セズ。彼ノ外ヲ卑ミ内ニ誇ルノ陋習ヲ長ジ、人生ノ模範ヲ衰世逆境ノ士ニ取リ其危激ノ言行ニ倣ハントシ、朋党比周上長ヲ犯スノ俗ヲ成サントスルカ如キ、凡如此ノ類ハ皆是青年子弟ヲ誤ル所以ニシテ恭倹己レヲ持シ、博愛衆ニ及ホスノ義ニ非ス。戦後努メテ驕泰ヲ戒メ謙抑ヲ旨トスルノ意ニ悖ルモノナリ。今ヤ列国ノ進運ハ日一日ヨリ急ニシテ東洋ノ面目ヲ一変スルノ大機ニ臨ム。而シテ条約改訂ノ結果トシテ与国ノ臣民ガ来テ生ヲ朕ガ統治ノ下ニ托セントスルノ期モ亦目下ニ迫レリ。此時ニ当リ朕ガ臣民ノ与国ノ臣民ニ接スルヤ丁寧親切ニシテ、明ラカニ大国寛容ノ気象ヲ発揮セザル可カラズ。抑モ今日ノ帝国ハ勃興ハ発達ノ時ナリ。藹然社交ノ徳義ヲ進メ、欣然各自ノ業務ヲ励ミ、責任ヲ重シ、軽騒ノ挙ヲ戒メ、学術技芸ヲ煉磨シ、以テ富強ノ根柢ヲ培ヒ、女子ノ教育ヲ盛ニシテ其地位ヲ嵩メ夫ヲ輔ケ子ヲ育スルノ道ヲ講セサル可カラズ。是レ実ニ一日モ忽諸ニ付ス可カラサルノ急務ナリ。朕ガ日夜軫念ヲ労スル所以ノモノハ、朕ガ親愛スル所ノ臣民ヲシテ文明列国ノ間ニ伍シ、列国ノ臣民ガ欣仰愛慕スルノ国民タラシメント欲スルニ外ナラズ。爾有衆父兄タリ、師表タリ。或ハ志ヲ教育ニ懐クモノハ深ク朕カ深衷ニ顧ミ百年国猷ノ在ル所ニ遵由シテ教育ノ方向ヲ誤ルコトナキヲ勉メヨ。〉
聞き慣れない、現在はほとんど死語になってしまった漢語が延々と続くのできわめてわかりにくいが、あえて現代語に訳せば次のようになるだろう。
〈私(明治天皇)は次のように考える。教育とは国家の盛衰にかかわる重要なものであり国家百年の計と常に一つの道を行くものであるべきだ。そもそも先皇(孝明天皇)が開国に踏み切り私がその路線を引き継いで以来、過去の因習を打破し、知識を世界に求めた。この開国という国の方針は確立し変わることは無い(=攘夷に戻ることは無い)。
私は先に教育勅語を示して教育の大方針を定めたが、民間では往々にして生徒を指導するにあたってその方法を誤っているものが無いとは言えない。そうした過ちをいまのうちに矯正しておかねば、それは将来において大きな後悔を招くことになるだろう。(その具体例を挙げれば、まさに幕末の攘夷時代のように)外国を蔑視し日本だけを尊大に誇り、人生の模範を乱世や逆境に生きた人物に求め、ことさらに徒党を組み過激な言動を弄して秩序を乱す等々である。こうした事例に模範を求めることは青少年を誤った道に導くものだ。
国民は自分に対して謙虚であり、他人を広く愛する人間でなければならない。とくに日清戦争後は努力して驕りを捨てて謙虚な態度を取ることこそ先に出した教育勅語の精神に沿うものである。いまやわが大日本帝国を含め東洋はその体制を一新する大きな好機に直面している。(日清戦争の勝利によって実現した)欧米との不平等条約の改正もその一環だが、その結果として同盟国の人々がわが国にやって来たり、あるいは(外国人だった人々が)私の統治のもとに運命を託することも迫っている。こうしたときにわが臣民つまり日本人は、他国の人々と接するには丁寧親切を旨とし大国の国民としての寛容の態度を示すことが必要だ。
いま、大日本帝国は大きな発展のときを迎えている。当然和気あいあいとした社交(国内の交流および外交)を進め、自分の業務に励み責任を重んじ軽挙妄動は慎まねばならない。そして学問や技術を発達させ国を豊かに強くする基礎を作らねばならない。また女子の教育を盛んにしてその地位を高め、夫を助け子を育てる道をいまより広げなければならない。これはまさに急務である。私は、私が愛する国民が欧米列強の間に伍して、外国から尊敬され敬愛される国民になることを望んでいる。お前たちはそうした模範とならねばならぬ。従って教育に携わる者は私の心中の深い想いを察し、教育とは国家百年の道筋を示すものであることを重んじ、決してその方向性を誤ることのないように努めなさい。〉