コロナ禍に入って、周囲に訃報を知らさぬまま荼毘に付される人は少なくない。2020年8月に肺炎で亡くなった渡哲也さん(享年78)や、2021年4月に心不全で逝去した田村正和さん(享年77)は、いずれも長期にわたる闘病を伏せ、死が公表されたのは家族葬を済ませてからだった。そしてまたひとり、ひっそりと世を去った俳優がいる。
「2022年の3月に志垣太郎さん(享年70)が亡くなったんです。いまもこの死はごく数人にしか知らされていません」(芸能関係者)
志垣さんの死から9か月。秘められた最期の裏で何があったのか──。
東京出身の志垣さんは高校在学中の1969年に芸術座の舞台で主役デビュー。1971年にドラマ『おれは男だ!』(日本テレビ系)で森田健作(72才)と共演し注目され、25才で主演した『あかんたれ』(東海テレビ)は210回の最多放送回数を誇る大ヒットとなった。
二枚目俳優としてだけでなく声優やバラエティーなど幅広く活躍し、特にテレビアニメ『ベルサイユのばら』で担当したアンドレの声は「まさにイメージ通りの声」と大絶賛された。一方、私生活では1985年に元女優の白坂紀子さんと結婚した。
「ドラマ『水戸黄門』で共演した白坂さんに志垣さんが一目惚れし、猛アタックで結婚にこぎつけました。1988年に長男が生まれた際、志垣さんは1週間の“産休”をとって57時間の難産に立ち会ったほど。このとき生まれた長男は和音匠という芸名で2013年に映画デビューを果たしています」(前出・芸能関係者)
公私ともに順風満帆だった志垣さんは芸能界での交友関係も煌びやかだった。特に松崎しげる(73才)、西田敏行(75才)、柴俊夫(75才)、田中健(71才)とは年齢も近く、芸能界きっての「仲よし5人組」と呼ばれるほど。20~30代のときはこの5人でチャリティーコンサートを続けていたという。東京ベイエリアの高級タワーマンションに住み、外車を買い集め、年末年始には家族でハワイ旅行を楽しむ──40代までの志垣さんは「ザ・芸能人」ともいえる華やかな生活を送っていた。
そんな志垣さんの仕事の勢いに陰りが見え始めたのは2000年代に入ってからだった。
「50代になった頃からドラマの仕事が急減してしまいました。たまに入る仕事は、地方のPR誌のインタビューなど地味なものばかり。バラエティーや情報番組の出番もなくなり、唯一のレギュラー番組だった『噂の!東京マガジン』(TBS系)も2014年に降板となりました」(前出・芸能関係者)
次第に志垣さんは周囲にあるお願いをするようになったという。
「急にまとまった額のお金を貸してくれないかと連絡するようになったんです。まずは近しい仕事関係者に話を持ちかけたそうです。その人は何回かに分けてお金を渡していたそうですが、志垣さんの要求が止まることはなかったと聞いています。そのうち“このままでは志垣さんのためによくない”と判断し、申し出を断るようになったそうです」(テレビ局関係者)