自身が権力を得るために重鎮におもねるような国会議員が多い中、どんなに批判されても、上に楯突く形になろうとも、自分たちの信念を貫いてきた政治家がいる。ウクライナ侵攻に関する発言で物議を醸してきた鈴木宗男・参議院議員(74)もその一人だ。北方領土への思い、政治の師との思い出、選挙での苦労、娘・貴子氏への期待など、時には涙を流しながらすべてを語った。【全3回の第3回。第1回から読む】
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安倍総理からのお願い
──貴子さんは一時野党に属しましたが、なぜ自民党に移ったのでしょう。
「これは、安倍総理からお願いされたからです。忘れもしない2015年12月28日、私は首相官邸に呼ばれました。その5日前にある式典で安倍総理から『たまには官邸に来てください。いろいろ相談したい』と言われ、私は『いつでも時間がありますよ』って答えたら、すぐに秘書官から、28日午後3時に官邸に来てくれと。1時間、一対一で向き合いましたね」
──公民権停止中の身だったのに、官邸に招かれ、サシで1時間も!
「安倍総理は、来年からロシア外交を本気でやりたい、協力してくれと。私は協力しますよと言って、話は30分で終わったんです。それから、珍しくケーキが出てきましてね(笑)。ショートケーキを2つ合わせたくらいの大きさで、しかも、中にまでイチゴが詰まった二段重ねの立派なものです。私は習性として、そういう時に相手の飲み方や食べ方で体調や精神状態を見るんです。安倍総理が先にパクパク食べる姿を見て、ああ、今日は調子いいなと。
そうしたら、安倍総理がどうぞと勧めてきたんですよ。それで私が慌ててフォークを口に入れようとした瞬間、『いやあ、お嬢さんの評判がいいですよ』と切り出した。次に、『貴子さんを自民党で育てたい』と言われたんです。
私も気が弱かったですね。口に入れようとしたケーキをボトッとネクタイに落としたんですよ(笑)。総理に会うっていうので、女房が買ってきてくれた緑色の貴重なネクタイです。生クリームは油ですから、べっとりシミになって。後で、女房に怒られましたよ」
──それを受けて、貴子さんは民主党を離党した。
「私が『総理に任せます』と答えましたから。やはり安倍総理は政権の安定を一番に考えていましたね。翌2016年4月には町村信孝さんが亡くなった後の補選は、『鈴木先生の協力がないと勝てない。夏には参院選がある。鈴木さんの票が野党にいってしまうと厳しいから、ぜひとも自民党候補に協力していただきたい』と言われ、私は『協力します』と約束し、実行しました。それから安倍総理と5年間、毎月1回、官邸で会うようになりました」