2022年も間もなく年の瀬。新しく迎える年がよい年になるよう、静かに振り返る時間をとってみませんか。『比叡山大阿闍梨 心を掃除する』を出版した比叡山の光永圓道大阿闍梨が説くのは、「文字や言葉に丁寧に向き合う」という教え。言葉を自分自身の手で綴ることが大事だといいます。
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現代ではあらゆる情報が、スマートフォンに委ねられています。昔は、自分の頭でしっかり覚えていたはずの記念日や誕生日も、通知機能に任せきりになってしまってはいませんか。その点は、言葉も似ているでしょう。読めるのに書けない漢字が増えているのは、文字を打つようになった影響だと思います。
もちろん「便利」という価値観だけに頼って生きていくのなら、言葉を手で綴る必要はないかもしれません。いまでは料理も、掃除も洗濯も、何がしかの機器に任せることができます。ただし、私は「(いつでも)できる」から「(いまは)やらない」という考え方に諸手を挙げて賛同はいたしません。
私にとって自分自身の手、体を動かす行為は「一隅を照らす」ことにつながっているからです。一隅とは、真ん中ではなく隅、華やかな舞台の上ではなく、縁の下。急がば回れ。古来、培われてきた美しい態度です。感謝を込めた手紙を書くことは、お相手に気持ちを伝えるだけでなく、お書きになる皆さま自身の心を整えることにも役立つはずです。
千日回峰行を満行して、無動寺谷の明王堂で輪番を勤めていた頃、私は三千を超える信徒のかたがたに宛名を手書きした年賀状を差し上げておりました。それぞれのお名前を書いている最中、意識せずとも皆さまのお顔や声色が一瞬にしてよみがえるのは、とても幸せな時間です。あくまで一瞬だけですが、それが良いのです。
三千という数字からは膨大な手間がイメージされるかもしれませんが、手紙をしたためることは「平常心是道」の心持ちで、私の日常に組み込まれております。平常心といいますと、普通は「焦らない」といった意味で捉えられますが、仏教的な考え方は少し違います。一生懸命に繰り返しているうちに、そのおこないが自然に、日常に溶け込んでいく状態をいいます。手紙を書くことだけでなく、善く生きようとする姿勢が、意識せずとも日常で表現されていけば、暮らしはそれだけで「道」になるのです。
【プロフィール】
覚性律庵 住職 光永圓道(47才)/1990年に得度受戒、2000年に延暦寺一山・大乗院住職に。2009年、千日回峰行を満行し、北嶺大行満大阿闍梨となる。現在、大乗院住職、覚性律庵住職。今年11月、仏門の修行と千日回峰行の荒行を経て到達した「心地良く生きるための作法」を説いた『比叡山大阿闍梨 心を掃除する』を出版。
撮影/黒石あみ
※女性セブン2023年1月1日号