人間は様々な感染症とともに生きていかなければならない。だからこそ、ウイルスや菌についてもっと知っておきたい──。白鴎大学教授の岡田晴恵氏による週刊ポスト連載『感染るんです』より、「結核」の治療薬についてお届けする。
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前回に続き、結核の治療薬誕生までの足跡についてお話しします。
そもそも結核とは、結核菌の慢性感染によって起こる病気の総称です。結核菌にはヒト型結核菌、牛型結核菌など数種ありますが、日本の結核はヒト型結核菌によって起こります。
約1万年前から牛型結核菌は牛の病原体として存在し、感染した牛の乳には牛型菌が含まれ、経口感染で牛の間で広がっていました。紀元前5000年頃から始まった牧畜によって牛から人へと牛型結核菌が感染し、人の体内で菌が適応する過程でヒト型結核菌が生まれたとされます。こんなことを書くと「感染した牛の牛乳を飲んだら感染するのですか?」と聞かれそうですが、パスツーリゼイション(低温長時間殺菌法)の開発によって菌も死滅させられますし、日本では牛の結核対策が厳密に行われているため人への感染はありません。パスツーリゼイションはその名の通り、開発したのはフランスのルイ・パスツールで、ワインの酸敗防止のために彼が工夫した方法で、日本の伝統的な清酒の火入れもこれと同じ原理です。
19世紀末になるとドイツのローベルト・コッホが結核菌を発見、さらに結核菌の培養液を煮沸濃縮した濾過液を「ツベルクリン」と命名して結核治療薬として提唱します。しかし、ツベルクリン治療は“病態は改善するが結核菌は減らない”と彼自身が述べているように明らかな治療効果はありませんでした。この頃、『シャーロック・ホームズ』シリーズの著者で、医師として働いていたコナン・ドイルは、すぐさまコッホの治療薬の真相を確かめています。そして、ドイルは早い時期からツベルクリン治療に疑問を呈する報告を医学誌に書いていました。後にアレルギーの概念の成立と皮内注射法の開発によって、ツベルクリンは治療薬ではなく診断薬として広く利用されることになります。
そして、1944年になって、抗生物質のストレプトマイシンが開発されました。ストレプトマイシンはウクライナからアメリカに移住したワックスマンが12年の歳月をかけて、さまざまな菌の抗菌作用を調べ上げて作り出した結核に有効な初の治療薬です。ここで初めて、結核治療に希望の扉が開きます。同年、スウェーデンのレーマンがPAS(パス)を開発し、ストレプトマイシンとパスの併用療法が確立され、劇的な治療効果を上げたのでした。それまでは、なるべく栄養を取って安静にするというのがせいぜいで、空気のきれいな場所へ転地療養するのが最善の処置だったのです。
トーマス・マンの「魔の山」にはスイスの療養所の様子が描かれていますが、サナトリウム文学として名高い「風立ちぬ」の堀辰雄も思い出されます。振り返ればこんな結核文学をむさぼり読んだのが私の10代でした。それがきっかけで感染症の道に入ったのです。
【プロフィール】
岡田晴恵(おかだ・はるえ)/共立薬科大学大学院を修了後、順天堂大学にて医学博士を取得。国立感染症研究所などを経て、現在は白鴎大学教授。専門は感染免疫学、公衆衛生学。
※週刊ポスト2022年12月23日号