ロシアによるウクライナ侵攻、安倍元首相銃撃といった衝撃的な事件が次々に起きた2022年。大きな歴史の分岐点に立つ私たちはいま、何を考え、どう処すべきなのか? 本誌・週刊ポストのレギュラー書評委員12名と特別寄稿者1名が選んだ1冊が、その手がかりになるはずだ──。
【書評】『歴史の中の多様な「性」 日本とアジア 変幻するセクシュアリティ』/三橋順子・著/岩波書店/3410円
【評者】井上章一(国際日本文化研究センター所長)
性的少数者、いわゆるLGBT+の人権を擁護する声が、さいきん高まっている。欧米とくらべ、日本では彼らが揶揄されやすいことも、問題にされてきた。日本はその点でおくれているという指摘も、しばしば聞こえてくる。
しかし、同性どうしの性愛が日本になかったわけではない。今の同性愛とはべつの形でだが、ひろくうけいれられていた。異性装に生きた人だって、少なくない。日本なりに、性的な多様性をはぐくんではいたのである。
これをねじふせたのは、欧米である。伝統的に異性愛のみを正常としてきた西洋が、その価値観を非西洋世界におしつけた。そして、欧化を国是とした近代日本も、この考え方を受容する。同性間の性愛を変態よばわりしだしたのは、西洋化のせいである。
ただ、今日の欧米は自分たちのかかげてきた認識を、反省するようになってきた。そして、こちらのほうは、まだ日本にとどききっていない。日本がおくれているようにうつるゆえんである。
この本は、今のべたような歴史のからくりを、ていねいにときほぐす。また、欧化される前の日本で展開されてきた性のありかたを、えがきだしてもいる。なかでも、私は藤原頼長をあつかった文章に感心した。頼長は保元の乱でやぶれた、摂関家の長者である。平安末期の公家で、『台記』という日記をのこしている。
この日記には、頼長の性生活が、あけすけにしるされていた。男どうしで情交にふけった様子が、はっきりわかる記録である。じゅうらいの日本史研究は、この性愛を頼長の政治実践にむすびつけ、読みといてきた。自派のネットワークを形成するために、あの男やこの男をだいたのだ、と。
私はこの通説をうたがう。某男子と情をつうじたのは、彼のことが好きだったからかもしれない。打算のせいだとは、きめつけられないだろう。そんな私の疑問に、この本はみごとな解答をしめしてくれた。快哉をさけびたい。
※週刊ポスト2023年1月1・6日号