ロシアによるウクライナ侵攻、安倍元首相銃撃といった衝撃的な事件が次々に起きた2022年。大きな歴史の分岐点に立つ私たちはいま、何を考え、どう処すべきなのか? 本誌・週刊ポストのレギュラー書評委員12名と特別寄稿者1名が選んだ1冊が、その手がかりになるはずだ──。
【書評】『父娘ぐらし 55歳独身マンガ家が8歳の娘の父親になる話』/渡辺電機(株)・著/KADOKAWA/1210円
【評者】大塚英志(まんが原作者)
ウクライナ戦争、何波目になるかさえ覚束ないコロナ、賃金は低迷、物価は急騰するスタグフレーションとしか思えない経済。しかし、この異常な日常に私たちは口で言うほどの危機感もなく、元首相殺害で露わになった統一教会と政治の、まるで宿主と寄生生物との共生のような長きに渡る関係を見るにつけ、ただの異常な日々が「現実」の顔をすることに時間をかけて鈍磨した結果としてあるのだとはかろうじてわかる。
本書は一見、そういう「今」と無縁だ。気ままに生きていた五十代半ばのまんが家が二人の幼い娘を持つシングルマザーと結婚、しかも母親の事情で上の娘と二人暮らしをすることになる。
TVドラマの設定でもおかしくない奇妙な生活は、しかし作者の現実だ。五年程前の出来事だからコロナもウクライナも描かれないが、しかし大仰に言ってしまえば、図らずも父親となったまんが家が、新しい娘が世界に着地していく手助けを手探りでする様子は、この一年の私たちが何を取り戻し損ねたかを正しく実感させてくれる。
新しい娘はゲームの攻略本を抱えて一人、立っているような子として最初描かれる。ゲームが彼女の世界を大きく占めていた印象だ。だから本書は彼女の世界が開かれる物語と言っていい。新しい父親に娘が全身で体当たりするように飛びつく描写から伝わってくるのは、彼女の「現実」の所在を身体の感覚で実感させる役割を新しい父親が自然に引き受けていることだ。
リアルを担保してくれる大人の存在で世界は初めて信頼可能なものになる。単行本には未収録だが、娘をいじめる同級生も実は孤立していることに気づき、父親が率先して友達の輪に引き入れてしまう挿話も、「世界」や「他者」(狭い意味でも国際情勢というやや大げさな水準でも)との、当り前の関わり方を実直に描いている点で、育児まんがというよりもっと普遍的な、今読まれるべき作品になっている。
※週刊ポスト2023年1月1・6日号