ロシアによるウクライナ侵攻、安倍元首相銃撃といった衝撃的な事件が次々に起きた2022年。大きな歴史の分岐点に立つ私たちはいま、何を考え、どう処すべきなのか? 本誌・週刊ポストのレギュラー書評委員12名と特別寄稿者1名が選んだ1冊が、その手がかりになるはずだ──。
【書評】『左川ちか全集』/左川ちか・著 島田龍・編/書肆侃侃房/3080円
【評者】香山リカ(精神科医)
今年は世界でも日本でもあまりに衝撃的なできごとが起きすぎた。圧倒的な現実の前では、あらゆる論評も創作作品でさえもむなしい。たとえば2019年、虐げられた男性が世間への復讐に走る映画『ジョーカー』が世界の話題をさらったが、この日本で起きた宗教2世として生き地獄を味わい、ついに国の元為政者の殺害を企てて実行したという事件の前では、作品のインパクトも薄れたと言わざるをえないだろう。
こういうときは、具体的なものより抽象的なもの、現在のものより過去に書かれたものに目を向けて、言葉や表現の持つ力を味わいたい。その中でも出色だったのが、気鋭の日本文学研究者によってまとめられたこの本だ。
「左川ちか」と聴いても知る人はほとんどいないだろう。90年前の日本文壇に彗星のように現れ、わずか24歳で夭折した詩人、翻訳家なのでそれも当然だ。本書も「全集」となっているがやや厚めの一冊の中に、すべての詩、散文、翻訳作品などが収まっている。
どのページからでも開けば、研ぎ澄まされ、かつ詩情にあふれた言葉が目に飛び込んでくる。たとえば、「他の一つのもの」という作品はこうだ。「アスパラガスの茂みが/午後のよごれた太陽の中へ飛び込む/硝子で切りとられる茎/青い血が窓を流れた/その向ふ側で/ゼンマイをまく音がする」。もちろん、すぐにこの詩の言わんとしていることはわからない。ただ、そのときの自分や世界になぞらえてさまざまな解釈をすることができる。そこでしばし空想をめぐらせ、現実を考えるヒントを得る。これこそが、いま私たちができる最善の「言葉との向き合い方」なのではないだろうか。
左川ちかは、自分が抱える「女であること」という問題を強く意識し、だからこそ逆に女性性を排した硬質な言葉を選んだともいわれる。おそらくあなたに娘や孫娘がいれば、必ずこの詩や散文から受け取るものがあるはずだ。ぜひ感想を話し合ってみてほしい。
※週刊ポスト2023年1月1・6日号