ロシアによるウクライナ侵攻、安倍元首相銃撃といった衝撃的な事件が次々に起きた2022年。大きな歴史の分岐点に立つ私たちはいま、何を考え、どう処すべきなのか? 本誌・週刊ポストのレギュラー書評委員12名と特別寄稿者1名が選んだ1冊が、その手がかりになるはずだ──。
【書評】『燕は戻ってこない』/桐野夏生・著/集英社/2090円
【評者】鴻巣友季子(翻訳家)
2022年は「セクシャル・リプロダクティブ・ヘルス/ライツ(SRHR)」が一層注目された年だった。SRHRとは、「性と生殖にまつわる健康」と「子どもを産むか産まないか、いつ、何人産むかなどを産む当人が自己決定する権利」であり、四半世紀も前に国際会議で合意がなされている。
ところが、この6月、アメリカで半世紀前から妊娠中絶の合憲性と権利を保障してきた連邦最高裁判決が覆され、大きな波紋を呼んでいる。中絶の是非──アメリカの社会的分断はここに集約的に表れており、先月の中間選挙でも票を左右した。イギリスもスナク新政権の下、同様に中絶反対の動きが見られる(12月中旬現在)。日本は早くに妊娠中絶が合法化された国ではあるが、未だに性交相手の同意を必要とし、手術より安全な薬は高価で入手しにくく、改正は遅々として進まず。
しかも来年以降は、女性の生殖機能を利用する「代理母出産」についても現実的に考えなくてはならなくなるだろう。日本でも二〇二〇年に「生殖補助医療法」が成立し、その一環として代理母出産の規則のあり方が検討されている。いずれは日本でも一定条件の下で認可の運びになるかもしれない。
しかしすでにビジネス化している国では、先進国の裕福なカップルが発展途上国の経済的に恵まれない独身女性に依頼するケースは増えており、生殖機能を利用される側の尊厳を踏みにじるものではないかという議論も出ている。
ここで参照したいのが、代理母出産を題材にした桐野夏生の長編『燕は戻ってこない』だ。29歳の独身女性リキは派遣職でぎりぎりの生活をしており、自らの生殖機能で収入を得る決断をする。一千万円で代理母出産を請け負うが、これを「子宮の搾取」だとずばり指摘する人物もおり、やがてリキ自身も「子産み機械」のように感じるようになるのだ。性差や経済格差による社会の構造的不均衡が痛いほど浮き彫りになる作品である。
※週刊ポスト2023年1月1・6日号