ロシアによるウクライナ侵攻、安倍元首相銃撃といった衝撃的な事件が次々に起きた2022年。大きな歴史の分岐点に立つ私たちはいま、何を考え、どう処すべきなのか? 本誌・週刊ポストのレギュラー書評委員12名と特別寄稿者1名が選んだ1冊が、その手がかりになるはずだ──。
【書評】『現代思想入門』/千葉雅也・著/講談社現代新書/990円
【評者】関川夏央(作家)
デリダ、ドゥルーズ、フーコーといった思想家の名前には憶えがある。しかし読んだ人は私を含め、まれだと思う。三人とも一九六〇年代にフランス語で書いた思想書で知られ、日本では八〇年代に話題になったが、スノッブなバーでの知ったかぶりの話題として消費されたに過ぎなかった。
デリダの「脱構築」とは、「自然と文化」「身体と精神」「能動と受動」「資本家と労働者」「真面目なことと遊び」など、一方をプラス、他方をマイナスと想定する従来の「二項対立」の考え方を「いったん留保」する。
「自己と他者」の二項対立では、「自分が自分であること」を肯定的にとらえれば「自己」がプラス、「他者」はマイナスとなる。しかし「自己」を固守するより「他者のいる世界に身を開こう」と転換を誘うのが「脱構築」だ。
私たちが彼らの本を読めなかったのは、書いた側にも責任があると著者はいう。「物事を単純に言い切らず、あえて留保を持たせて、レトリックを施し、もったいぶった言い方をする」ヨーロッパ的な知の伝統、要するに「カッコつけ」と「カマシ」が理解を邪魔した。
「一切の波立ちのない、透明で安定したものとして自己や世界を捉えるのではなく、炭酸で、泡立」つような「ざわめく世界として世界を捉えるのがデリダのビジョン」と書く著者は、さらにドゥルーズ、フーコー、あとに続く『ポスト「ポスト構造主義」』の思想まで、手際よく説明してくれる。半世紀遅れでわかったつもりになる読者は、同時に、時代的ノスタルジーにも駆られる。
立命館大学文学部での講義がこの本の原型だそうだが、ネットに依存するあまり脳の退行を不安視していた昨今の大学生のレベルは相当に高い。古典的な知の構造から「逸脱」する人間の多様性を「泳がせておいた」結果、千葉雅也のような才能が開花した。この本自体が「脱構築」の成果であろう。
※週刊ポスト2023年1月1・6日号