1月3日、巨人の中田翔(33)が自主トレ地の沖縄・石垣島に出発した。昨年末には大阪桐蔭高校時代の2学年上の先輩である平田良介(34)が現役引退を発表。中田の周りでも“引退”という言葉が身近に感じられるような年齢になってきた。
中田は2007年に高校ドラフト1位で日本ハムに入団し、今季は16年目。昨季まで288本塁打を積み重ねており、順調に行けば今季中に300本塁打に到達する。だが、NPB史上に名を残す名選手たちの中にも「高卒16年目の壁」に苦しめられた例は少なくない。NPB過去44人の300本塁打達成者で、高校から直接プロに入団した選手は17人いる。現役生活15年で引退した掛布雅之(阪神)を除く彼らの16年目の成績はどうだったのか。
王は翌年以降も活躍、37歳で50本塁打
まず、34歳になるその年にタイトル獲得やキャリアハイの数字を残すなど大活躍した4選手を見てみよう(選手名、年、チーム名、打率、本塁打、打点)。
王貞治(1974年・巨人):3割3分2厘、49本塁打、123打点
清原和博(2001年・巨人):2割9分8厘、29本塁打、121打点
張本勲(1974年・日本ハム):3割4分0厘、14本塁打、62打点
松原誠(1977年・大洋):2割8分3厘、34本塁打、110打点
世界のホームラン王と呼ばれた王貞治は、16年目に2年連続の三冠王を獲得。張本勲は7度目の首位打者に輝いた。清原和博は121打点、松原誠は34本、110打点でキャリアハイを記録している。
王は翌年以降も活躍し、37歳で50本塁打を放つなど凄みを増し、40歳で引退する1980年も30本塁打をマークした。張本は翌年10年ぶりに打率3割を切り、オフに巨人にトレードされる。しかし、長嶋茂雄監督の元で復調して2連覇に貢献し、1980年にロッテで前人未到の3000本安打を達成した。
清原は1999年からケガもあって満足なシーズンを送れなくなっていたが、この年に復活。しかし、翌年以降は再びケガに悩まされた。松原は翌年、ホームランは16本と半減したが、3割2分9厘とキャリアハイの打率を残した。