【書評】『惑う星』/リチャード・パワーズ・著/木原善彦・訳/新潮社/3410円
【評者】鴻巣友季子(翻訳家)
パワーズは現代社会とアクチュアルに切り結ぶ話題作を連発している米文学の大黒柱のひとり。先行作の『幸福の遺伝子』は生命倫理に踏みこみながら、文学と創作の可能性をも探っていく刺戟的な一冊だったし、クロスジャンルの『オルフェオ』は科学と芸術、生命倫理と審美性のスリリングな睨み合い。『オーバーストーリー』は、深刻な気候変動と環境破壊を題材にした大作で、過激な環境保護運動家たちが国家と巨大企業をむこうに回して原生林を守るべく戦う。
その作家の最新作が『惑う星』だ。もはやアメリカの近未来の透視図といっていいかもしれない。主人公は、二年前に妻を亡くした宇宙生物学者シーオと、九歳の一人息子ロビン。ロビンは心のトラブルを抱えて不登校になっているが、父は向精神薬は与えたくない。熱心な動物愛護運動家だった亡妻アリッサと新婚旅行で過ごした山小屋へ、ふたりで向かう。
作者はサイエンスを材にしてきたが、本作では科学知が専制的な大統領政権下の国家権力によって、弱体化させられてしまう。地球環境は危機的な状況にある。
ロビンは母の旧友で脳神経学者カリアー博士のもとで、実験的な“治療”セッションを受けることになる。母の生前の感情をスキャンして、息子の感情抑制の訓練に役立てようというものだ。数週間でロビンの性格は温和でフレンドリーなものに変わり、彼の見せる自然への愛に人びとは賛同するようになる。ロビンは非凡な才能を発揮しながら環境保護のリーダーになっていき、シーオの地球外生命体探査プロジェクトも前進の兆しが見えてくる。
ところが、そんな折、無許可デモを理由に警察の介入にあい、さらに、保健福祉省の助成金を受けていたカリアーも政治的な難局に直面してしまう……。あのSFの名作『アルジャーノンに花束を』を彷彿させるパワーズの新たな傑作だ。邦題は「当惑」「センス・オブ・ワンダー」「惑星」の意をかけたものだとか。なんとも名タイトルだ。
※週刊ポスト2023年1月13・20日号