2023年のNHK大河ドラマ『どうする家康』で主演の松本潤が演じるのは、徳川家康。約260年にわたって続く江戸幕府を起こした家康は、“英雄色を好む”という俗言に違わず、女性関係も派手だった。教科書には載っていないその人となりを、『徳川家康という人』(河出新書)の著者で東京大学史科編纂所教授の本郷和人さんに聞いた──。
家康の最初の妻は、築山殿。今川義元の重臣で妹の夫・関口親永の娘にあたる。当時の家康は人質として駿河に滞在しており、2人の婚姻は政略結婚だった。
「家康と築山殿は不仲だったといわれていますが、築山殿にしてみれば仕方がないこと。なぜなら、家康が義元亡き後、今川から離反し、その責任として築山殿の父・親永は切腹を命じられる。つまり、家康の行動により、実父が自害させられたのですから築山殿は家康を恨んでも仕方がないのです」(本郷さん・以下同)
では築山殿に対して、家康はどう感じていたのか。
「これは判断が難しいですね。家康は築山殿と別居していた浜松時代に子供をつくっていません。家康は子供ができやすい体質だったようですが、浜松時代はほかの女性に手を出していない。これは築山殿に対する遠慮なのではないかという見方もできるわけです」
しかし、築山殿はスパイの容疑で信長の命令により、家康の家臣に殺されてしまう。信長亡き後、秀吉が天下人となった際には、秀吉の妹・朝日姫を、家康は正室として迎え入れている。このとき家康は45才、朝日姫は44才だった。
「姫といっても名ばかりで、秀吉の妹ですから、いわば地元のおばちゃんのような人でした」
朝日姫は2年間、駿府城で家康と生活を共にした後、実母・大政所の病気見舞いを理由に大坂に戻る。その後は自身も病気がちになり、京都の聚楽第で亡くなった(享年48)といわれる。
若い頃の家康が側室に選んだ女性は子持ちばかり
秀忠(三男)や忠吉(四男)の生母である西郷局は、側室になった頃は17才でありながら未亡人。信吉(五男)の生母である下山殿も、夫と離縁した後、家康の側室になっている。
「家康が彼女たちを選んだのには理由がある」と、本郷さんは続ける。
「大名は子供をつくることが大きな責務ですが、中には子供ができにくい人もいます。そこで、すでに子供を産んだことのある女性なら、『子供を産んでくれるだろう』と考えたのではないでしょうか」
家康の側室を代表する阿茶局も2人の子持ちの未亡人だ。ただ、家康の子供は、記録に残っているだけでも、実子と養子を合わせて38人。そのためか、家康は50才頃を境に好みがガラリと変わっている。
「頑張って子供をつくる必要がなくなり、積極的に好みの女性にアプローチし始めたのだと思います。特に若い女性が好きだったようですね」
家康が還暦手前だった59才のときには、近江の青木一矩の娘で当時15才だったお梅の方を側室にするなど、いまでは考えられないような相手を妻にすることもあった。
取材・文/廉屋友美乃
※女性セブン2023年1月19・26日号