【書評】『映画の香気 ―私のシネマパラダイス―』/荒木正也・著/Echelle-1/2420円
【評者】川本三郎(評論家)
アカデミー賞の作品賞の受賞者は多くの場合、その映画のプロデューサーになる。この時にははなやかな存在に見えるが、プロデューサーの仕事は大半が地味な裏方。どんな仕事をしているかもよく分っていない。
本書は小林正樹監督の「東京裁判」、須川栄三監督の「螢川」、小栗康平監督の「死の棘」などを手がけた名プロデューサーの回想記。この仕事の大変さが分かる。企画、製作費の調達、キャスティングをはじめさまざまな仕事に関わる。一本の映画のすべてに責任を持たなければならない。その苦労には頭が下がる。
昭和五年生まれ。戦後、慶應義塾大学を卒業、プロデューサーを志して松竹に。その後フリー。「裏切り」ならぬ「表切り」という著者の造語が出てくる。裏で批判するのではなく、まっすぐに正面から意見をいう。松竹時代には、城戸四郎社長に食ってかかったことがあるし、黒澤明にも真っ向から意見をぶつけた。熱血漢である。
プロデューサーの仕事のなかでも、とくに重要なのは個性の強い監督といい関係を作ること。氏はそれを「共犯関係」という言葉で表現する。プロデューサーと監督が共に同じ方向で映画を作るという志がなければならない。
本書の読みどころは、「東京裁判」製作に当っての小林正樹監督との確執。「鬼」と呼ばれる小林監督とは、なかなかいい関係が作れない。トラブルが続出し、製作は遅れに遅れる。ついには、製作者である氏が脚本を書くことになる。この事実はこれまで一般に知られていなかっただけに驚くに足る。プロデューサーはこんな尻拭いもするのか。それでもなんとか映画が完成すると、氏はその出来の良さに、さすが小林正樹と、わだかまりを捨てて賞賛する。清々しい。
苦労の多い映画人生のなかで「死の棘」がカンヌでグランプリを受賞した時の喜びようは感動的。氏はこの本が完成したのを見届けた翌日、死去したという(91歳)。
※週刊ポスト2023年1月27日号