【書評】『ゾンビ3.0』/石川智健・著/講談社/1650円
【評者】大塚英志(まんが原作者)
ゾンビものというかなり特化したジャンルは思いの外、制作された国なり文化圏の歴史を忠実に反映している。荒っぽく定義してしまえば、ゾンビは言葉も意志も通じない絶対的な他者といえるが、興味深いのはその「他者としてのゾンビ」が一体、何の表象であるかという点だ。
アメリカであれば、どう考えてもネイティブアメリカンを殺戮し土地を収奪していった負の記憶を無自覚にゾンビ映画で反復している節がある。だから『ウォーキング・デッド』でも、シリーズが長期化すれば対ゾンビとのサバイバルではなく、人間のコロニー同士の疑心暗鬼へと物語の軸はズレてもいく。というよりは、それこそが本題で、ゾンビ映画は、開拓時代への不謹慎な負のサーガとしての側面を持つ。
韓国であれば、そもそも韓国においては、映画でも文学でもサブカルチャーでも「階級」の壁が歴然と世界観の基調となっているのが特徴だ。だから、アニメ『ソウル・ステーション/パンデミック』では社会の最下層であるホームレスから感染が始まる。
だが、日本ではゾンビがそもそも「他者」を表象しない傾向にある。『キャメラを止めるな!』は、ゾンビというより映画構造において自己言及的だし、ゾンビものではないが『桐島、部活やめるってよ』でも、ゾンビ映画が自己言及的に語られる挿話が印象的だ。するとこの小説『ゾンビ3.0』でも、中心的な人物の一人がゾンビマニアで、そのおたく的ゾンビ知が科学的なゾンビの解析に結びつく構成も自己言及性を踏襲している点で納得がいく。
だがそれ以上に興味深いのは、ゾンビの恐怖を同じ人間が他者に豹変したことでなく、その本質が「群れ」としてあることに見出している点だ。およそ近代において個になり損ねたこの国らしいローカライズだ。だから対抗策もまた「群れ」としてのヒトが導き出す。集合知としてのゾンビに、集合知としてのヒトが対峙する様が描かれる点で、他者なき社会のゾンビ小説という印象である。
※週刊ポスト2023年2月3日号