【書評】『日蓮誕生 いま甦る実像と闘争』/江間浩人・著/論創社/2420円
【評者】井上章一(国際日本文化研究センター所長)
高校生のころ歴史の授業で、日蓮のことをならった。もとは、千葉あたりにいた漁師の子どもである。だが、天台仏教とであい、法華の信迎にめざめた。辻説法などでその普及につとめ、日蓮宗の開祖となる。そして、生前はその急進的な布教活動をいやがる鎌倉幕府から、弾圧された。二度までも、流罪をうけている、と。
この一般的な日蓮像を、著者は根底からくつがえす。その論述ぶりは、たいへんあざやかである。考証の細部に、私の理解がおよばぬところもないではない。しかし、目の鱗は、いたるところでおとされた。読書のよろこびをあたえてもらった一冊である。
日蓮は漢文の経典を読みこなせた。その著述でも、多くの典籍を縦横にもちいている。手元にそれらがない状態であっても、引用は正確であった。長年の勉学で、すっかり暗記していたことがわかる。親が一介の漁民であったとは思えない。その学習を可能にする資産家だと、みなすべきだろう。
諸史料をつきあわせ、著者は推定する。父は伊東祐時、母は千葉成胤の娘であったろう、と。どちらも、鎌倉幕府の有力御家人である。この血筋をせおった日蓮は、いやおうなく幕府の政局にまきこまれる。一三世紀なかごろからの鎌倉では、対立しあう二者のかけひきが、政治をうごかした。ひとつは、北条執権派であり、いまひとつは京都からむかえた将軍をささえる一派である。
日蓮や彼の弟子たちは、基本的に将軍派として活動した。反執権派という立場におかれている。日蓮が幕府の指弾をうけたのは、政局を執権派が牛耳った時である。将軍派が勢力をもりかえした時には、復権をみとめられていた。こうした抗争劇をしめす史料群のなかで、この本は新しい日蓮像をうかびあがらせていく。
宗教的には、天台への回帰をめざした。その密教化や、念仏の横行には背をむけている。これを鎌倉新仏教のひとことでかたづける常套にも、問題はありそうだ。
※週刊ポスト2023年2月3日号