【書評】『オーウェルの薔薇』/レベッカ・ソルニット・著 川端康雄、ハーン小路恭子・訳/岩波書店/3630円
【評者】与那原恵(ノンフィクションライター)
全体主義的近未来を描いた小説『一九八四年』、スペイン内戦の従軍体験をもとにしたルポルタージュ『カタロニア讃歌』などで知られる英国人作家ジョージ・オーウェル。一九〇三年生まれ、その生涯に戦争がつきまとい、『一九八四年』刊行の翌年、四十六歳で没した。肺結核を患うなど苦難の人生だったが、執筆のかたわら自宅の庭に薔薇や果樹を植え、成長を見守る日常を愛しんだ。
本書の著者は環境や人権問題、フェミニズムなど幅広く活動する作家、歴史家で、オーウェルが一九三六年に植えた薔薇の生き残りに出合う。生気あふれる木だった。〈樹木というものは、時について考え、時のなかで旅をするようにという、誘いでもある〉という著者は、オーウェルの生涯と思想を探り、植物や自然を通じて帝国主義や社会主義を広く考察する。
帝国主義と植物の関係は深い。香辛料、薬草、麻薬、食用や観賞用植物は帝国主義の拡張とともに世界へ広がった。オーウェル自身、英国植民地時代のインド生まれで、父は「阿片」の生産と管理に携わった。成長したオーウェルはイギリス帝国の警察官としてビルマに赴任。植民地支配の現実を知った彼は帰国して作家に転身し、英国北部の工業地帯と炭鉱を取材した。
同時期、スターリンが支配するソ連では、植物も人間と同じく改変可能と主張する〈偽科学者〉が台頭。圧政者は急速な工業化を推進し、穀倉地帯だったウクライナでは五百万人が餓死するという惨劇にもつながった。第二次世界大戦後、スターリンは寒冷地ではほぼ不可能なレモン栽培を〈法的に決定した〉という。
著者は南米コロンビアの大規模な「薔薇工場」を訪ね、『一九八四年』の世界さながらの過酷な労働現場をあぶり出す。殺菌剤使用により周辺の自然環境も悪化したが、米国で販売される薔薇の八割はコロンビアから空輸され、イベントの贈り物などに消費される。〈未来への希望を植えていた〉オーウェルの薔薇。美しい薔薇は現代の私たちに鋭く問いかける。
※週刊ポスト2023年2月10・17日号