日本には、礼儀作法を重んじ、伝統を継承し続け、代々家を守り続けてきた名家・旧家がある。名家には、どんな暮らしがあるのだろうか──。しょうゆ醸造を行う「加納家」の暮らしに迫った。
「加納家」とは 建物は国の重要文化財に
しょうゆ発祥の地・和歌山県有田郡湯浅町で、1841(天保12)年、しょうゆ醸造業「角屋」で修業した加納長兵衛がのれん分けをして「角屋長兵衛(角長)」を創業。「角長」の主屋、しょうゆ蔵など建物11棟は国の重要文化財に指定されている。現在は左起子さんの息子である恒儀さんが7代目を継ぎ、その妻・千秋さん(46才)や、左起子さんの長女・智子さん(44才)夫婦も協働している。「醤油資料館」(住所:和歌山県有田郡湯浅町湯浅7)も併設。
廃業の危機を先祖の技術が救ってくれた
紀伊水道に面した和歌山県湯浅町。海岸周辺の古い町並みを歩くと、ほんのりと香ばしいしょうゆの香りが漂う。この辺りは江戸時代、紀州藩の庇護を受け、100軒近くのしょうゆ店が軒を並べていた。しかし、第二次世界大戦以降、特に1960年代の大量生産時代に入って、
「しょうゆはもうからん」
と同業者が次第に姿を消し、「角長」も存続の危機に見舞われた。
「私の父(5代目加納長兵衛さん)が、『角長』を、自分の代で消滅させるわけにはいかんと、毎日毎晩、仕込蔵にこもって代々伝わる文献を調べ、昔の材料や製法を研究。初代のしょうゆを現代によみがえらせたんです」(加納左起子さん・以下同)
10年の歳月をかけ、昔ながらの手造りしょうゆ製法を復活させ、それを新たな主力商品にした。加熱をしないため、酵母が生きたままの「濁り醤」で、このしょうゆが現在も造られている。
先祖の技術が、「角長」の未来を救ったのだ。
「ご先祖さまと父には感謝しかありません。それと、私たちにとっては建物も大切です。なぜなら蔵の天井や梁には、しょうゆ造りに欠かせない酵母がついているからです。昔、屋根の一部を改修したとき、その下に置かれた桶だけがうまく発酵しませんでした。ですから、この蔵つき酵母は、『角長』の宝であり、おいしさの秘密。今後も守り受け継いでいかないといけません」
共に生きてきたご近所への感謝と助け合いを大切に……
左起子さんにとって、この地は生まれ育ったところ。
「ご近所さんも皆、昔から住んでいる人たちです。幼稚園からの幼なじみもいますから、他人とは思えないほど、絆は強いんです」
照明を消し忘れていると、近所の人が、
「電気消し忘れているよ!」
と声をかけてくれるなど、助け合いは日常茶飯事だ。
「私なんかはとても品位ある暮らしなど、できていません。作業着で毎日走り回っていますから(笑い)。ただ、こうしたご近所との触れ合いは大切にしています。周りの人へ感謝し、何かあれば協力し合うのが当たり前。そういう気持ちや日頃の行為のなかに、もしかしたら品位といえるものが、埋まった熾火のようにあるのかもしれませんね」
左起子さんは、穏やかな笑顔でそう語ってくれた。
取材・文/三谷俊行 撮影/辻村耕司
※女性セブン2023年2月16日号