仏教で最も苛烈な修行である千日回峰行を満行した光永圓道大阿闍梨(47)とDAIGO(44)が、「人生」と「ロック」について語り合った。
* * *
DAIGO:千日回峰行、すごいですね。毎晩60キロ以上もの道のりを歩いて巡拝するって、驚きました。
光永師:いえいえ。DAIGOさんは24時間で100キロも走ったと伺いました。私は、そんなに走ったことはありません。
DAIGO:ぼくはテレビのスタッフさんや専門家の皆さんに助けられながら、1回走れただけです。阿闍梨さんは、毎晩60キロ。しかも草鞋で、雨でも雪でも休まずに100日続けて歩くんですよね。それで、7年間で地球一周分の距離を歩くって、ちょっとスケールが大きすぎて想像もできません。
光永師:コツコツ積み重ねていると、意外に遠くまで行けるものですよね。
DAIGO:あと、もう一つビックリしたのは、阿闍梨さんが、昔から代々続くお寺の家系に生まれたわけじゃなかったんだ、ということです。
平安時代から千年以上も続く大変な修行をやるような人は、歴史のあるお寺に生まれて、幼い頃から仏教の英才教育を受けてきたようなエリートなんだろうな。本(『比叡山大阿闍梨 心を掃除する』)を開く前にはそんな風に想像していたのですが、阿闍梨さんの実家は違いましたよね。
光永師:はい。普通のサラリーマンの家庭というか、中学のときに両親が離婚しているので、母親ひとりと兄弟3人でした。仏教についても、ほとんど何も知らなかったですね。だから逆に、新しい世界に飛び込みやすかったのかもしれません。
比叡山・無動寺谷の明王堂で小僧になるにも、千日回峰行をやらせていただくときにも、プレッシャーに押しつぶされるようなことはなかったです。
ロック・ミュージシャンの「2つの壁」
光永師:DAIGOさんの場合はお祖父さんが竹下登さんですから、幼少期からずっと「総理大臣の孫」というフィルターを通した視線が注がれるわけでしょう。
DAIGO:そういう雰囲気はあったかもしれないです。
光永師:DAIGOさんが、そのプレッシャーをどうやって克服してきたのか。とても興味があります。
DAIGO:僕は15才の頃からロックが好きでした。インディーズ活動から始めて、どうにか25才で、氷室京介さんの楽曲提供でメジャーデビューすることができて。音楽に関しては自分がやりたくでやってた事だったし祖父とは関係ないところで頑張りたかった。それこそ祖父の名前を使ってデビューにこぎつけたとか、絶対思われたくないじゃないですか。