【書評】『日中和平工作秘史 繆斌工作は真実だった』/太田茂・著/芙蓉書房出版/2970円
【評者】平山周吉(雑文家)
元検事によるコアな昭和史研究である。「日曜歴史家」のレベルを遥かに超え、「繆斌工作」という難問に挑んで、名推理が冴える。本書とほぼ同時に『OSS(戦略情報局)の全貌 ―CIAの前身となった諜報機関の光と影』と、『新考・近衛文麿論 ―「悲劇の宰相、最後の公家」の戦争責任と和平工作』も出した。三冊は相互に連携し、有機的に連関する。
わずか五年間の探求で、ここまで来るとは尋常でない。著者・太田茂は京都地検検事正で退官し、大学教授に転身、いまは弁護士とのこと。検討される資料は四百冊、これは大学教員だったから、ここまで徹底できたのだろう。
「繆斌工作」とは昭和二十年(一九四五)春、小磯國昭内閣によって企てられた日中和平工作である。支那事変勃発後、「トラウトマン工作」から始まり、潰えた和平工作は数知れない。繆斌工作は重光葵外相、木戸幸一内大臣が「謀略」だと反対し、最後には天皇が引導を渡し、内閣総辞職となった。
それは正しい判断だったのか。著者は、読者を陪審員として、歴史の素人でも納得がいくように、いちいち念を押しながら論理を運んでいく。実務家による開かれた「歴史法廷」といえる。
著者は検事時代に身につけた「情況証拠による事実認定」の手法を採用する。間接証拠を積み重ね、ジグソーパズルを組み立てる。その一方で、反対事実、消極証拠も反芻して検討する。当初は著者自身が半信半疑だった繆斌工作を真実だったと結論するに至る。
テヘラン会談でハシゴを外され、ヤルタ密約で米英ソから裏切られた蒋介石は、「密かに日本との講和、それを通じた連合国との講和を、ソ連の参戦前に実現しよう」と考えていた。「それを、日本の陸海軍中央や外務省の為政者らがまったく洞察できていなかったことに悲劇がある」。
本書を読むと、縄張り意識に凝り固まった官僚、軍人、そして宮中に、昭和史の「勤務評定」を突きつけた感がある。元検事の論告はクールにして、凄味あり。
※週刊ポスト2023年2月24日号