国民栄誉賞を受賞した元横綱・千代の富士(2016年に死去)が建てた旧・九重部屋が、飲食店に改装されて「ちゃんこ千代の富士」としてオープンした。実際の稽古で使われていた土俵の横で、九重部屋伝統のちゃんこ料理を堪能できるとあって、2月20日の開店初日から予約がいっぱいになっているという。
オーナーは元・千代の富士の未亡人。九重部屋のちゃんこの味が楽しめるたけでなく、店内には歴代3位となる31回の優勝を誇る“ウルフ”に縁のある貴重な展示品などが多数揃えられている。現役最後の優勝時(1990年11月場所)で締めていた綱や、優勝トロフィーが飾られ、部屋に所属する力士の四股名が書かれた木札も当時のまま残されている。
今回、ちゃんこ店となった墨田区石原の建物は、1993年に新しく建てられたもの。1991年5月に現役を引退した千代の富士は、功績著しい横綱経験者のみが現役時代の四股名のまま親方になれる「一代年寄」を襲名する話もあったが、辞退して九重部屋を継承することを決めた。1992年4月には、先代の師匠にあたる元横綱・北の富士と名跡交換をして、「九重親方」となっている。北の富士は陣幕親方として協会の広報部長の仕事に専念することになったが、現役の親方が部屋の師匠を譲るのはレアなケースだった。ただ、部屋の建物を巡っては複雑な経過があったという。
「引退した力士が親方として相撲協会に残るために必要な『年寄株』が高額で売買されてきたことは知られていますが、部屋持ち親方となるためにはさらに稽古場という“不動産”の取得費用も必要。先代から部屋を継ぐにあたって、価格交渉など不動産の譲渡がスムーズにいかないことは間々ある。
千代の富士のケースでも、襲名当初は先代である北の富士が部屋を構えていた墨田区亀沢の土地・建物をそのまま使っていたが、譲り受けるかたちにはならなかった。金額などの条件面が折り合わなかったとされ、千代の富士が住居にしていた墨田区石原に新たに九重部屋を建てることになった。そして、もともとの九重部屋の建物では、千代の富士の弟弟子にあたる元横綱・北勝海が八角部屋を興すことになったのです」(相撲ジャーナリスト)
1993年9月に独立した八角部屋には力士4人に加え、当時の九重部屋の部屋付き親方全4人(陣幕=元・北の富士、君ヶ濱=元関脇・北瀬海、谷川=元前頭・白田山、錦戸=元前頭・富士乃真)が移籍することとなった。
「当時、北勝海が千代の富士に対して、新しい部屋に行司と床山を1人ずつまわしてほしいと頭を下げたところ、“ダ~メッ!”の一言だったという。そうやって関係がこじれ、先代の北の富士さんを筆頭とする親方衆がみんな八角部屋に移っていった。北の富士・北勝海連合と千代の富士との対立関係という構図です。ご意見番として協会に大きな影響力を持つ北の富士の後ろ盾があったからこそ、北勝海は理事長まで上り詰められた。それに対し、千代の富士は一門内に支援者が集まらず、理事選への出馬すらままならない状態が続いたのです」(同前)
九重部屋を名門にするために一代年寄襲名を辞退したはずが、歯車が大きく狂ってしまったわけである。