近年、大きく変化しつつあるのが“毛”に対する常識。脱毛する男性がどんどん増える一方で、自然な姿を目指して脱毛を辞める女性も現れている。体毛を季語にした句を発表している俳人の佐藤文香さんが、「毛」について語る。
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タンメンの湯気ほがらかに鼻毛抜く
左手の剃る右腋や腋毛落つ
これは私が「ネオ歳時記」という企画で、「鼻毛抜く」を春の季語、「腋毛」を夏の季語として詠んだ句です(まだ歳時記の季語にはなっていない言葉です、ご了承ください)。
春は新生活がスタートする時期で、卒業式や入学式などの行事の際、記念写真などに写る機会が増えるものです。普段はあまり鏡を見ないという人も鼻毛が出ているかどうかをチェックする、その身だしなみを整える心にこそ春が訪れるとしました。
夏にはノースリーブや水着になるときに剃るなど、とにかく薄着になることで腋毛の処理をする人がほとんどでしょう。ただ最近では「女性は脱毛せねばならない」という固定観念を壊す意味合いで、自然に腋毛を生やしたままの女性も増えています。海外では腋毛をカラフルに染めてSNSに投稿する女性も。
夏に限らず一年中肌を見せない服装で過ごせるのに、毛を見せてでも、または毛を処理してでもタンクトップになりたいとか水着が着たいとか、そんな開放的な気持ちになることこそ、夏らしさなのかなと思います。
そもそも私は動物(けもの)好きで、たくさん毛が生えている生き物はかわいいと思っています。カナダオオヤマネコやマヌルネコなど、寒いところの大きなネコ科動物の毛のボリュームは素晴らしい。それもあってか、女性の腋毛や腕毛にはグッとくる方です。抑圧への抵抗うんぬんといった精神性の問題ではなく、単純に自分の嗜好的に好ましい。
社会的に見たら、脱毛は理性的で生やすのは野性的。もしくは、脱毛は画一化で生やすのは個性、と考えられるのではないでしょうか。
私自身は小6の頃から髪の毛に天然パーマが発生し、男子にボンバーと呼ばれるなどずっと髪の毛に悩まされてきました。顔面、腕、スネの毛が濃くて眼鏡っ子。普通になりたい、マシになりたいという思いが強かったですね。