信者間で養子縁組が繰り返されていた旧統一教会(世界平和統一家庭連合)。厚生労働省はこれに関する刑事告発を検討しているが、いまだ事態は進展していない。元2世信者である小川さゆりさんは「子どもの人権が守られていない」と訴え、3人の妹が養子に出されていた実態を近日刊行の手記『小川さゆり、宗教2世』で明かした。【第4回。第1回から読む】
韓国で行なわれた合同結婚式で両親が結婚し、ふたりの兄に続く3人目の「神の子」として生まれた小川さん。だが、その後生まれた妹たちには、ある運命が待っていた。小川さんが明かす。
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養子縁組は「美しい伝統」
母が下の妹を妊娠したのは、私が4歳の頃でした。「あなたのきょうだいだよ」と聞いたときは嬉しくて、わくわくしていたのですが、あるとき、母はこう言ったのです。
「この子は養子に出すんだよ」
統一教会では子どもを授からなかった信者夫婦が、子どものいる別の信者の子と養子縁組することを「美しい伝統」と呼び、長らく推奨されてきたそうです。1981年以降に745人が養子縁組されたと聞きます。国からの質問書に対して、教会は「いずれも信者間の個人的な関係をもとにした養子縁組について報告を受けたもので、あっせんは行なっておらず、法的な許可も取っていない」と回答したと報じられています。
でも、幼児だった当時の私にそのことが理解できるわけがありません。どうして妊娠中に養子に出すことが決まっていたのかという疑問を持つことなく、そういうものなんだと思うばかりでした。
母が臨月を迎える頃になると、里親となる養母さんが私たちの家に泊まり込みにきました。養母さんは母の世話をしたり、私たちきょうだいと遊んでくれたりして、子どもが生まれるのを待っていました。彼女は妹が生まれた後も、しばらく我が家に泊まっていました。
妹が生まれたばかりのとき、私は嬉しくて2階のベッドで寝ている彼女を何度も見に行きました。「わあ、ちっちゃいな、かわいいな」と思い、母にお願いして抱っこをさせてもらいました。
赤ちゃんは本当にかわいい存在でした。「一緒に住めたら嬉しいけれど、それはできないんだな」と思うと悲しい気分にもなりました。
それから何日かが経って、妹はあっけなく「さようなら」という感じで連れて行かれました。
妹を引き取った養母さんは40代くらいで、母よりも年上のように見えました。何らかの事情で子どもを授かれなかった人だったのだと思います。