2月上旬、首相秘書官が性的少数者や同性婚をめぐる差別的な発言をしたとして更迭された。政権中枢において人権意識の低さが露呈したことは、国内外で失望や落胆をもって報じられた。日本では、性的少数者に対してだけでなく、女性や在日外国人などマイノリティに対する人権意識が遅れている現状を象徴するような出来事となった。
「日本には、部落民に対する1000年以上の差別の歴史があり、明治政府による『解放令』以降は、差別解消のための人権運動が進められてきました。それなのに、世界各国に比べて、日本の人権意識がまだまだ低いのは、同和問題をタブー視してきたマスメディアにも責任の一端があるのではないかと考えています」
そう語るのは、2月8日に『同和のドン 上田藤兵衞「人権」と「暴力」の戦後史』(講談社)を上梓したジャーナリストの伊藤博敏氏だ。同書は、自由同和会京都府本部会長である上田藤兵衞氏の半生を追いながら、同和問題という日本の宿痾を、社会の「表」と「裏」から迫った労作であり、発売1か月も経たないうちに重版を複数回重ね、累計発行3万部を突破するほどの注目を集めている。
「メディアが同和問題をタブー視してきた」とはどういうことなのか──『同和のドン』著者の伊藤氏に話を聞いた(以下、インタビュー)。
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戦前の全国水平社の創立に端を発する、被差別部落に対する差別解消運動は、主に共産主義の「階級闘争」に結びついて始まりました。部落解放運動に、「支配・被支配」という考え方を持ち込み、同じく搾取される階級である労働者や農民と連帯して、社会構造そのものを変革しようとする運動でした。
それが戦後になると、全国水平社の流れを汲む部落解放同盟は、共産主義とは距離を取ります。その代わりに、差別解消のための戦術として、激しい「糾弾闘争」を取り入れました。社会変革を目指すのではなく、実際に起きた、具体的な差別的な意識に基づく言動のひとつひとつを確認し、指摘し、改めていく、という活動です。ただ、その「確認して指摘して改める」という糾弾闘争が、マスコミから非常に恐れられた部分がありました。
部落解放同盟は、差別事象があればまず、事実確認を行います。差別的な言動が本当にあったのかどうか。マスメディアならば新聞や雑誌や書籍を入手したり、テレビなら映像を手に入れるなどして、抗議文を送ります。その後、部落解放同盟とメディアの担当者の間で「事実確認会」と呼ばれる話し合いが行われ、差別事象が悪質な場合は、さらに公開の糾弾会が行われることになります。部落解放同盟員がずらりと並び、差別的な言動をしたとされる当事者に対し、差別の拡大・再生産が行われないように強く“真の反省”を促すのです。時に、相手を恐怖に陥れるぐらい苛烈に責め立てることもありました。