【書評】『王様の耳 秘密のバーへようこそ』/えすとえむ/小学館
【評者】芸人・吉川きっちょむ
スタイリッシュな画風で大人の甘美な恋愛模様を描いたかと思えば、あるときは洗練された職人のこだわりを魅せ、さらにクスッと笑えるコメディなど幅広い作品を世に生み出している漫画家・えすとえむ。最新作『王様の耳 秘密のバーへようこそ』は、これまでとはまた全く違う、人間の深淵を覗くミステリアスで奇妙なサスペンスだ。
本作は、街にひっそりと溶け込む隠れ家的バー「王様の耳」が舞台となる。それぞれに事情を抱えて訪れた客が合言葉のお酒を注文すると奥の部屋へ通され、店主・鳳麟太郎と不思議な取引が始まる。それは「秘密」の買い取り。話した秘密の質で値段は変わり、その秘密が漏れることは決してない。しかし話した代償として、今後自分でもその秘密を打ち明けることが一切できなくなるというものだった。客は対価として手に入れた金で懐を温め、マスターは秘密の味を堪能する──。
基本的に秘密を持ち込む人物にスポットライトがあたっていく1話完結の本作は、バー「王様の耳」の求人募集を見た青年・柴健斗が秘密厳守を条件にバーテンとして採用されるところから始まる。人に言えない秘密は特にないと話す快活な青年と、妖しく色気があり吸血鬼を思わせる年齢不詳のおじさま店主。この二人の並びはバディもののようで掛け合いもテンポがよくて軽快に読み進められる。
本作の面白いところは、サスペンスにおける最後のデザートである「犯人が自供する罪の告白」という甘美な部分だけを味わえるような全く新しい形のサスペンス漫画であり、その「秘密」がまた思わぬ形でつながっていく快感にある。告白される秘密はもちろん守られるが店主の中に蓄積されていく。すると、一人から語られた些細な出来事だけでは見えてこなかった秘密の点が線になり、やがて輪郭が与えられていく。この構成の上手さには思わず唸ってしまった。1巻より2巻、2巻より3巻と、どんどん盛り上がっていく仕掛けが随所に罠のように仕込まれている。
誰にも言えない秘密を抱えた経験がある人は分かると思うが、一人で抱える重みに耐えられなくなって無関係な他人が相手だからこそ話せることもある。そうやって、客の秘密は店主にだけ明かされるはずだった。しかし私達がこの漫画を読む構造上、読者として神視点でその秘密を盗み聞きしている形になる。私達は場面によって秘密の目撃者であり共犯者であり聞き手でもあり、相反する体験を繰り返して没入感が高くなっていくところも新鮮だ。そしてその体験に一役買っているのが、本作のコマの枠線だ。コマとコマの間に隙間がなく線で区切られた絵がぎゅっと並んでいる。結果、画面に映るのはカメラとしての画ではなく、自分の目が空間に浮いて覗き見ているような錯覚に陥る。作品にぴったりな素晴らしい効果だ。電子書籍だと分からないがこの効果は本作の紙の装丁に関しても言えて、さらに稀に見るお洒落さなのでぜひ手にとって確かめていただきたい。
【プロフィール】
吉川きっちょむ/お笑いコンビ「ウーピーウーピー」メンバー。吉本興業イチ漫画に詳しい芸人のひとり。よしもと漫画研究部部長。
※女性セブン2023年3月16日号