“日本プロレスの父”力道山が大相撲からプロレスに転向し、日本プロレスを立ち上げてから2023年で70年が経つ。力道山はすぐに国民的スターとなったが、1963年の殺傷事件で、39年間の太く短い生涯を終えた。しかし、力道山を取り巻く物語はこれで終わりではない──。彼には当時、結婚して1年、まだ21歳の妻・敬子がいた。元日本航空CAだった敬子はいま81歳になった。「力道山未亡人」として過ごした60年に及ぶ数奇な半生を、ノンフィクション作家の細田昌志氏が掘り起こしていく。第16話ではついに吉報が訪れる。ここから人生は激動に入っていく。【連載の第16回。第1回から読む】
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第16話「合格通知」
駿台予備校に通う総武線の車内で「日本航空客室乗務員・臨時募集」の貼り紙を見て「大学受験の予行演習のつもり」で受験に臨んだ予備校生の田中敬子は、1次の筆記試験を難なく突破し、2次試験の面接で「君は皇后陛下に似ている」と言われ、頭の中が真っ白になるハプニングもありながら、これもどうにかクリアした。
次なる難関は体力測定と健康診断で、いずれも自信があった。何しろ健康優良児である。神奈川代表に選ばれる倍率を思えばどうということはなく、スチュワーデスの椅子は目前だと思った。
まず、慈恵医大に集められ健康診断が行われた。視力検査は両眼とも1.2。問題はなかった。ちなみに、81歳になった今も1.2のままである。
1次の筆記試験と2次の面接を一緒に通過した帰国子女がいた。容姿端麗で英語もペラペラ、「ああ、きっとこういう人が受かるんだろうな」と敬子は憧憬の眼差しで彼女を見つめた。
しかし、彼女の姿は途中で見えなくなった。まさか落ちたとも思えない。一体何があったのだろう。数日後、彼女と顔を合わせた。
「どうしたの、途中でいなくなって」
敬子がそう訊くと、彼女はばつが悪そうにこう答えた。
「実は私、コンタクトレンズしてたの。それがバレちゃって」
「えー、そうだったの」
「黙ってたんだけど、すぐに見破られちゃってさ」