その後、妻が切り盛りするレストランで休憩すると隣にあるボクシングジムへ。阿部さんは元プロボクサーでこのジムの会長をしているのだ。元日本王者のハードパンチャー・佐藤仁徳さんの1学年後輩であり、過去には同じく元日本王者のコウジ有沢さんと拳を交えたこともある。
「漁師になってしばらくして貝毒が出て、1年半も漁に出られずに困った状況になった。遊んでても仕方ないなと思って、赤貝で稼いだお金でジムを開いたんです。ジムの建物は大工と一緒に作ったんだけど、ほぼ自作。7000万円だった見積もりも2000万円で済んだよ。
あと、ボクシングへの煮え切らない思いもあってね。いま4年目で、練習生は約50人。センスのあるいい選手もいるよ」(阿部さん)
この周辺にはボクシングジムがなく、ボクシングをしたくてもできない子供が多くいる。阿部さんは子供たちの未来のために、早朝から漁に出て疲れた体でもジムへ向かうのだ。そんな彼だがらこそ、子供たちも集まってくる。
夕刻、選手が集まってくると、グローブをつけ自らスパーリングの相手をする。「打ったらすぐ次打つこと考えろ」「ディフェンスと逃げは違うからな。前へ出るんだよ」。ブルファイターだった阿部さんらしい叱咤激励が矢継ぎ早に飛んでくる。2年前から通っている中学1年生と小学校4年生の兄弟は「プロボクサーになって、このジムを有名にしたい」と息巻いていた。
阿部さんの1日の終わりに欠かせないルーティーンがある。1歳の初孫の未紘くんを抱っこすることだ。このときばかりは海の男、勝負師の表情が消え破顔一笑、可愛くて目の中に入れても痛くない様子だ。
「孫も生まれておじいちゃんになったんだけどさ、孫は可愛いねえ。漁から帰ってくるのも、早く孫の顔を見てえから。まだまだ生意気なこと言うまではきっと可愛くて仕方ないな。この時ばかりは震災の傷も忘れちゃうよ」(阿部さん)
この春、長女に続き、次女と三女も揃って社会人となる。妻・幸子さんしみじみと語る。