【書評】『「おふくろの味」幻想 誰が故郷の味をつくったのか』/湯澤規子・著/光文社新書
【評者】岩瀬達哉(ノンフィクション作家)
「おふくろの味」とは、料理の枠をこえて「現代史としての意味を持っている」。起源をさかのぼればその出現は、「都市にとっての思春期」ともいうべき高度経済成長期だった。集団就職や大学進学で、故郷の味から切り離され、都会に集められた若者たちの「膨大な数の胃袋」が「味を通した郷愁」をもとめて渦巻いた。急激な社会構造の変化のなかでひとびとは「生きる拠りどころ」を渇望し、それぞれの故郷を想起する装置として呼ばれるようになったのが、すなわち「おふくろの味」だったのだ。
やがてその若者たちのあたらしい「食経験」、つまりパンやオムライスやインスタントラーメンなどが日常の食事になると、「おふくろの味」はますます遠のいて「輝き」を増し、和洋中とならぶ料理ジャンルのひとつになっていく。週刊ポストが1984年に『男の料理「おふくろの味」』を出版し、サブタイトルで「納得いくまであらゆる創意と工夫を楽しむ男のホビー」とうたったように、男性の趣味の領域にまでなった。
いっぽうで故郷の食卓でも近代化が進んでいく。手のかかる郷土料理は衰退し「画一化」していった。こうして「没場所性」があちこちで起こっていくなか、婦人会や生活改善グループなどが抵抗手段として「おふくろの味」を再編し、たとえば長野のおやきのような特産品がうまれていったのである。
取り残されたのは「お母さんがつくる手づくりのごはん」に呪縛される現代の女性だ。食事の準備は女だけのものではない。また男性が食卓で「おふくろの味」を持ち出そうものなら、姑との比較か! とマザコン騒動になる。
肉じゃがやポテサラはひとつの記号であって、「おふくろの味」はつまるところ、その時代や土地の変貌がおりなした幻想と渇望、さらには世代や男女間での諍いの素ともなる、主観の総体だったのだ。社会科学の俎上にこの主観をのせた熱量は、小さいころから料理オタクだったという著者のなせるわざ。巻末資料にも頬がゆるむ。
※週刊ポスト2023年3月24日号