2013年7月、山口県周南市のわずか12人が暮らす集落で、一夜にして5人の村人が撲殺され、翌日、放火の焼け跡から遺体で発見された。「つけびして 煙り喜ぶ 田舎者」という犯人・保見光成死刑囚の家に貼られた紙は、「衝撃の犯行予告」として世間を騒がせた。だが、現地取材を続けたノンフィクションライターの高橋ユキ氏は、その俗説を根底から覆す証言を村の住人から得た。【前後編の後編。前編から読む】
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私は東京に戻り、取材で得た話を原稿にまとめた。だが、一向に記事は掲載されず「送り」になることが続く。いったんは月刊誌で企画として動き出したが、掲載のタイミングがないのだ。発生からすでに何年も経っている事件では、その裁判に動きがあったときか、もしくは刑が確定したか、あるいは、死刑判決を下された犯人に死刑が執行されたときしか、掲載のきっかけはない。しかし掲載が延びれば原稿料の支払いも先送りとなる。「送り」が3回続いたとき、私はこの記事を「非掲載」にしてもらい、別の実話誌に掲載してもらうことにした。
こうして「山口連続殺人事件」の仕事はひとまず終わったのだが、私には一連の取材を通じ、もっと事件を掘り下げたいという気持ちが湧き起こっていた。
いや、事件というよりも、村人たちの話の不吉さが頭から離れず、この不気味な村の正体を知りたくなったのだ。「つけび」貼り紙の発端となったのが、別の放火事件だったことにも驚いたが、村人たちはこんなことも話してくれていた。
「何回かあったらしいよ。何かにつけてケチつけてたけね」
なんと、郷集落での火災は一度ではないというのだ。こう話す村人もいた。
「皆殺されて、おらんようになったから、幕引きはできた。わしはほんとに安心して生活できるようになったよ、わし自身は。いまはもう鍵はかけんけど、鍵をかけ忘れるときも別にどうっちゅうことないし、倉庫の鍵をつけたままにしとっても別に何も盗られることもないし。以前はそんなことしよったら何も(かも)なくなりよったからね」
まるで事件のおかげで村に平穏が訪れたかのような口ぶりなのである。「皆が家族みたいに仲良しだった」集落で、「鍵をかける者などいなかった」という報道に接していた私は、また驚いた。
さらには、保見について周辺集落を尋ね歩いた時、こんな話も聞いていた。