【書評】『「幕府」とは何か 武家政権の正当性』/東島誠・著/NHK出版
【評者】井上章一(国際日本文化研究センター所長)
さいきん、日本史の学界では、さまざまな「幕府」が語られだしている。いわく、織田信長は近江で「安土幕府」を、うちたてた。対抗する足利義昭がよりどころとしたのは、「鞆幕府」と言っていい。平清盛は「六波羅幕府」をきづいたと、みとめうる。いや、清盛の政権がそれらしい姿をととのえたのは、「福原幕府」からだろう、などなどと。
論者により幕府像は、少しづつちがっている。また、斯界に明解な定義もない。さまざまな「幕府」が、論文や著述のなかに乱立するゆえんである。
そんな状況下に、著者は古い史料へわけいった。じっさいに「幕府」と名ざされた政治組織を、あらいだしている。すると、鎌倉や江戸の政権は、同時代から「幕府」とよばれていることが判明した。だが、足利将軍家のそれを「幕府」と称する同時代の史料は、見いだせない。室町政権がもうけた鎌倉府は、しばしば「幕府」と言われていたのに。
このことから、著者はひとつの結論をみちびきだす。「幕府」は、ほんらい関東で成立した、武力にねざす政治組織への呼称であった。「室町幕府」という言い方も、ほんとうはあらためたほうがいい、と。まあ、マッカーサーの占領軍やGHQを、「幕府」よばわりするつもりはなさそうだが。
軍事力による支配は、しばしば親分子分の人間関係を政治にもたらした。しかし、それをのりこえようとする、公平な統治への内在的な志も、めざめさせている。両者の葛藤を政治実践の過程に読むところは、本書の白眉であろう。
都市での飢餓や災害への対処に政権の質を見てとる分析も、感心させられた。気候変動の歴史を叙述へくみこむところは、まだよくわからないのだけれども。学説史への言及が多い点は、一般読者にわずらわしいと思わせるかもしれない。だが、私のような史学史好きには、そこもおもしろかった。目配りの弱さで私じしんがなじられているところも、苦笑だが、笑わされたものである。
※週刊ポスト2023年3月31日号