【書評】『グループサウンズ』/近田春夫・著/文春新書/990円
【評者】平山周吉(雑文家)
「団塊の世代」のエネルギーが噴出したブームに全共闘運動、フォークソング、そしてGSがあった、と私は思う。「GS」つまりグループサウンズは、その中では一番価値がなく、時代のあだ花として、あっという間に商業主義に絡めとられたかの感があるだろう。しかし、それだけだったのか。
『グループサウンズ』はブームの最末期に最末端でキーボードも弾いた近田春夫が、意外や意外、オーソドックスなファン目線のアプローチで、GSへの愛を語る。少女趣味で音楽性も低いと取られがちなGSを、戦後日本文化史の正史に位置づけようという試みだ。
エレキギターの爆音の衝撃でエレキブームが始まる。「のってけ のってけ」のアストロノウツ「太陽の彼方に」やベンチャーズ、加山雄三の映画「エレキの若大将」と、テレビでは「勝抜きエレキ合戦」といった前史をまず押さえる。GSが影響を受けたのはビートルズではない。アニマルズやストーンズだ。
ボタンの掛け違いは最初からあった。「勝抜きエレキ合戦」で優勝したザ・サベージ(寺尾聰がいた)の初レコード「いつまでもいつまでも」はなぜかフォーク調、それが大ヒットしてしまう。この昭和四十一年(一九六六)を近田は「GS元年」と定義する。
そして本編に入り、誰もが知っているメジャーな九つのグループが音楽、パフォーマンス、存在そのものと総合的に論じられていく。小遣いを工面してどのシングルレコードを買うかを思案していた高校生の嗅覚も総動員される。
スパイダースならば大ヒットした「夕陽が泣いている」の一曲前、ビーチ・ボーイズの影響色濃い「サマー・ガール」をキャリアのピークとみる。GSをあらぬ方向に導いてしまった「ブルー・シャトウ」、「シーサイド・バウンド」から始まったジュリー(沢田研二)の派手なアクションが「英米のバンドとは違う進化」を引き起こす等々。
GSという「時分の花」から、その「可能性の中心」を取り出す、不良性感度の高い文化論だ。
※週刊ポスト2023年4月7・14日号