【書評】『「私のはなし 部落のはなし」の話』/満若勇咲・著/中央公論新社/1980円
【評者】与那原恵(ノンフィクションライター)
ドキュメンタリー映画「私のはなし 部落のはなし」のアンコール上映を見た。二〇二二年に公開され、大きな反響を呼び、キネマ旬報ベスト・テン文化映画第一位を獲得。三時間半もの上映時間だが、スクリーンを食い入るように見つめ、日にちが過ぎた今も、登場した人たちの言葉を反芻し、その意味を考え、自問し続けている。
映画のテーマは「部落差別」である。法律や制度のうえでは存在しない「部落」や「部落民」だが、差別構造は現存する。この差別の起源は何なのか、どのような変遷をたどったのか、大半の日本人は知らないまま、知ろうとしないまま、根強い差別意識を持っているのも現実だ。
監督の満若勇咲(一九八六年生まれ)は、人々の「はなし」を通じて、「部落」が、映画の中に現れるのではないか、と考えたという。さまざまな年代の男女がそれぞれの体験に根差した「部落」で生きることを具体的に語り、また複数で語り合い、被差別部落史を専門とする研究者の解説がはさまれ、さらに「復刻版 全国部落調査」の販売などにより提訴された人物(「部落探訪」をウェブサイトで続行中)、など、多彩な人々が登場する。印象的な言葉を切り取るのではなく、その言葉の前後、表情、しぐさなどが映し出される。
本著は、満若監督が映像制作者として、どのように部落問題に関わり、映画として再構築したのか、自身が抱えた血縁や地域への反発や、学生時代に撮った兵庫県の食肉センターを舞台にした映画「にくのひと」(〇七年)が抗議を受け封印せざるを得なかった経緯など、監督自身の「話」を綴る。
映画「私のはなし 部落のはなし」の一人語りのシーンは、実際にはその話者と監督との対話であった〈そもそも「対話」とはコミュニケーションの過程であって、そこで何か結論が出て完結するような性質のものではない。「対話」は次の「対話」のためにある〉。対話は互いに「問うこと」を尊重しなければ成立せず、問いこそが「はなし」を生むのだ。
※週刊ポスト2023年4月7・14日号