音楽家の坂本龍一さんが3月28日、亡くなった。享年71。ちょうど1か月前、貴重な音楽的記録となる『坂本龍一 音楽の歴史』が刊行されたばかりだった。長年にわたり坂本氏さんを取材してきたライターの吉村栄一氏が手がけ、本人の肉声が遺されている。そこには、意外なデビュー秘話もあった。
音楽ユニット「YMO」への参加をきっかけに世界的成功を収めた坂本さんだが、それに先駆け、1978年にアルバム『千のナイフ』でソロ・デビューを果たしていた。しかし、すでにスタジオミュージシャンとして知る人ぞ知る存在ではあったものの世間的知名度は低く、初回のプレス枚数はわずか500枚。しかも、そのうち約200枚しか売れなかったという。その当時のことを、同書で坂本さんはこう振り返っている。
「アルバムが完成したとき、うれしくてよく行っていたカフェバーでかけてもらったんです。大音量で流れたら店内が微妙な雰囲気になった。仲の良い自分も音楽をやっているというウェイターにそっと、坂本さん、この音楽じゃモテないですよって言われて衝撃を受けました(笑)。
女性にモテるかという以前に、売り上げとか聴き手のことはまったく考えずに作っていたんです」(『千のナイフ』再発売盤ライナーノーツのための取材インタビュー)
この売り上げに頭を抱えたディレクターの斉藤有弘氏は、海外市場での可能性を探り、英国のヴァージン・レコードに『千のナイフ』を送ったが、「我が社は坂本龍一氏との契約に興味がない」とそっけない返答があったという。
だがその翌年、YMOが世界的ブレイクを果たすと、本作も脚光を浴び、数十万枚の売り上げに。あの「世界のサカモト」にも、下積み時代があったのだ。
ご冥福をお祈りします。
※週刊ポスト2023年4月21日号