死期が迫った人はしばしば、誰かが枕元に来て自分を連れて行こうとするような反応を見せることがある。これまで3000人を看取ってきた緩和ケア医の奥野滋子さんは、看取りの現場で「お迎え現象」と呼ばれるその言動をたびたび目にしてきた。
「『亡くなったお母さんが、手を握ってくれた。先生、私はもう大丈夫です』と話して息を引き取った患者さんのほか、穏やかな死を迎える人の多くが、“お迎え現象”を経て旅立って行きます」(奥野さん・以下同)
奥野さん自身も、両親を看取った際に体験したという。
「6年前、父が亡くなる直前、母と2人で看病しているときに『そこにいる人たちにご飯を頼んでくれ。4人いるだろ』と突然言い出しました。『誰なの?』と聞くと、『サッカー仲間だ』と言う。父は昔サッカーをやっていて、確かにすでに亡くなった友達が4人いたんです。父はもうすぐ逝くのだと直感的にわかりました。なかなか受け入れられなかった母も、“お友達に会えるのなら、きちんとお見送りしなきゃ”という気持ちになって、心の準備をすることができたので、最期の時間はとても穏やかなものになりました」
3年後、母親が亡くなる前も同様の現象が起きた。
「母は亡くなる2週間ほど前から、笑顔で『親が来ているからお風呂を準備して』『お姉ちゃんとおせちを作るから手伝って』と言い始めました。あの世から家族が来てくれていたようです。そのうち『阿弥陀様が来たからお茶を入れて』と言うようになったときは、度肝を抜かれましたが……(笑い)。だけど家族としては、母を大勢でお迎えに来てくれるのはありがたい、もうあの世に旅立っても大丈夫だと感じました」
医学の世界では、そうした言動を意識障害の「せん妄」と捉えられることも多いが、奥野さんは両者には明らかな違いがあるようだと話す。
「せん妄は話す内容に一貫性がないうえ、何かにおびえているようなたたずまいの患者も少なくないのですが、お迎え現象は本人の話の内容がしっかりしている。また、その表情も穏やかで安心した様子であることも多いようです。ただし、看取る家族がお迎え現象を確認できなかったとしても、それが安らかな死でなかったわけでもなければ、“お迎えがなかった”わけでもない。うちの両親のように会話する事例もあれば、天井を見つめて微笑んだり、手を伸ばしたりして“お迎え”を受け入れている場合もあります」
※女性セブン2023年4月20日号