怒りは新しいものを生む原動力となる──そのことをペンを片手に生涯をもって証明した女性がいる。
「相手がどんなひどい対応をしたか、そしてそれを受けて自分がなぜ、どうやって怒ったかをよくお話しなさっていました。たとえ取材中でも、相手が経団連の立場のある人であったとしても、誠実な対応でなかったら、怒鳴りつけて帰ってしまうこともあったそうです」
朝日新聞社の本の紹介サイト「好書好日」編集長で、同紙の文芸欄を長年担当してきた加藤修さんは、2013年に逝去した作家・山崎豊子さん(享年88)の思い出をこう振り返る。『大地の子』(1991年)や『白い巨塔』(1965年)など数々のベストセラーが生み出された背景には綿密で情熱的な独自の取材スタイルと、強い怒りの感情があった。
「大阪で生まれたことに強いプライドを持ち、怒りはもちろん、喜怒哀楽すべての感情に正直に生きる作家でした。感情の振れ幅が非常に広く、取材相手と一緒に泣き、笑い、怒ることで自らの感情を高めていた。生前の彼女は『私はペンの先から血が滴る思いで書いているのよ』と語りましたが、それだけの感情を込めたから多くの読者の心に響いたのでしょう」(加藤さん)
「命を懸けて書いてまいりました」との言葉を残すほど思い入れの強かった『大地の子』の取材では、戦争孤児たちが置かれた過酷な状況を取材するために中国に渡って胡耀邦総書記に直談判。面と向かって「中国の官僚主義は根深く、取材の壁は高くて険しく、真実が見えない」と批判したことで「欠点も書いて結構。それが真実なら」と胡氏から全面協力を取りつけることができたという逸話が残る。
同作では、新日本製鉄の斎藤英四郎会長を取材した際、相手の失礼な態度に激怒した山崎さんは、こう叫んで席を立ったとのエピソードもある。
「私を、そこらの作家と一緒にしないでください! もう結構です!」
加藤さんが指摘する。
「普通の作家であれば自分の感情にタガをはめて最低限の取材をこなしますが、山崎さんは怒りが爆発して暴走することがありました。すごいのは、怒りによって本当にわれを忘れてしまうわけではなく、どんなに感情が大きく揺らいでも最終的にはそれをコントロールし、ひとつの作品にまとめ上げる強さがあったことだと思います」
どんな状況であってもひるまず立ち向かい、怒りを創作のエネルギーに変える。そんな反骨精神のバックボーンには、軍国主義の時代を経験したことがあるのではないかと加藤さんが語る。
「山崎さんは軍国主義の時代に女学生として育ち、権威や権力を持つ人がいかに理不尽に振る舞うか身をもって経験しました。自らの青春時代を奪った軍国主義に対する怒りがベースにあり、権力の不条理を許せずに数々の作品を作り上げた。戦争であっても医学界の大きな権力であっても、対象こそ違えど、社会の持つ矛盾に目を背けずに異議を唱え続ける。その意味で、怒りは彼女の作品の本質に結びついているのかもしれません」
※女性セブン2023年4月20日号