近年、ビジネス界などを中心に「アンガーマネジメント」の大切さが説かれることも多い。しかし、怒りが、社会や組織を変える源にもなることもある
《はじまりは、憤りでした。「何、この理事長は。うそでしょ」。アメフト部悪質タックル問題にまつわる報道に接し、いても立ってもいられなくなりました。名の知れた大学のトップにこんな人がいて、こんな態度を取るのか。屈強な男性に囲まれ、自宅前から黒塗りの車に乗り込む姿を見て、テレビの前でしばらく呆然としてしまったほどです》
不祥事が続発した日本大学の理事長となり、組織改革に大ナタを振るう林真理子さん(69才)は、その原動力を「母校が汚職まみれであることへの怒り」だと過去に取材で語っている。
女性の怒りが大きなうねりとなり、国の制度として結実したケースもある。
「あの文章を読んで、私はギャッと飛び上がりましたよ」
と振り返るのは評論家の樋口恵子さん(90才)。樋口さんが戦慄したのは1978年の厚生白書における〈日本における親子の同居率の高さは、わが国福祉における含み資産である〉という一文だった。介護に強い関心を持っていた樋口さんはこの一文に心底驚いたという。
「確かにそういう事実はあるし、白書は事実を書くものだけれど、“その分家族の負担が増えている”とか“施策を考えなければならぬ”といった、その現状を変えようとするような文言はどこにも書いていなかった。
あの頃から介護を担うのは圧倒的に女性で、将来的に介護の長期化や重度化でますます女性の負担が重くなり、女性の低年金や無資産化も進むと懸念されていました。社会全体で介護を支えるシステムが必須なのに、同居率が高いから家族だけで介護できるとする厚生白書の言い分に、私をはじめ多くの女性が怒りを募らせました」(樋口さん)
当時、中央社会福祉審議会の委員だった樋口さんがいくら危機を訴えても、ほかの男性メンバーは「また始まった」と聞く耳を持たなかったという。業を煮やした女性たちは1982年に「女の自立と老い」を考えるシンポジウムを開催した。全国から600人を超える女性が駆けつけて、会場は熱気に包まれた。
「この頃から当たり前にこなすべき、ある意味“見えないもの”とされてきた家事や介護など家庭内労働の見える化が徐々に進み、集会を開くごとに女性の声が集まりました。それだけ困っている人が多かったのでしょう。当時、介護保険を作ろうという役人は多数派でなかったけど、女性の声と熱気に押されて徐々に機運が高まりました」(樋口さん)
女性たちの怒りを端緒にして1990年代に制度を求める声がますます高まり、それに応える形で2000年、ついに介護保険制度が創設された。